誹謗中傷する人は精神が病んでいる

2024年8月4日 水曜日



今日は
あえてタブーに切り込んでいきたい



もんちっちは
残念ながらこの年まで生きてきて
精神科の病名がつけられたことは
一度もない


自分が極限かと思われた環境に陥っても
自分がおかしいと思って受診しても
病名はつかなかった(笑)


医者に診る目がないのか?
私がスーパー強靭なメンタル人間だと
医者が思ったのか(笑)


身体の病気は小さい頃から数知れず
それでもこの年まで大きな病気もせず
生きながらえている





どんな人でも自らの選択で今の境遇に
生まれてきた人は皆無だろう
そして人が他人を見る目というものは
あくまでもその人が見聞きし経験してきた
世界だけで判断するしかないという事実


昨夜は誹謗中傷と言う言葉を考えた



ある人の境遇や状況を知りもしないのに
その人を誹謗中傷するのは

誹謗中傷者自身が精神を病んでいるからである
そしておそらくその人は自分の
精神が病んでいることにさえ
気づかずに生きている


日本はそんなかわいそうな精神的貧困者が
ネットにまで魑魅魍魎としている
海外から帰国した人が驚くほど
ネットのコメント欄は誹謗中傷で
荒廃している
これらのコメントの内容が海外では
異様だと評価されたこともある


誹謗中傷する人は
心無い人なのではなく
単純にその人の心が病んでいるだけである


もともと病名がついている人ばかりではなく
一生、周囲との軋轢を抱えながら
過ごしていく人もいるだろう
いわば世の中の「迷惑」人





物事を適切に判断できる能力を失う
病気は多い
一時的に心のバランスを失う病気もあるし
生涯継続する病気もある
また精神疾患でも治療ができるものと
できないものがある


そのような脳の機能が正常に働かない
状態の不安定な人も
当然ながら社会の中で生活している


そしてネット世界においては日本では
ビンボウと言われる底辺の人たちでさえも
携帯電話のない人はいないレベルにまで
普及している
教育も識字率100%の日本
ネットに参加できない人はいない
ということになる




誹謗中傷する人は
病気なのだから相手にしなければ
本来は済むことである
そっとしておいてあげれば済む
(この類の人たちには「無視」が効く)
注意しようが制裁をかけようが
心の制御ができないのだからたちが悪い


しかし自分に関係のない罪のない人たちに
特に精神を患うデリケートな人たちを
罵倒し誹謗中傷の攻撃のターゲットにする
行為に関しては
卑劣としか言いようがない


私には病気がありますと、あえて
公表し気遣いを訴えているのに
鞭打つように無神経に誹謗中傷を
浴びせる人の心は
被害者よりも病んでいて
とても深刻な状態であることは推測できる


しかしあえて言わせていただけるなら
恥を知ってほしい
恥を感じるセンサーがないのなら
せめて自分の世界の中でだけ
誹謗中傷を楽しめばいい





社会にはしていいことといけないことの
最低限のルールがある
そのことさえ受け入れることができなければ
誹謗中傷をする行為のみならず
存在すら社会から疎まれ
悲しい孤独のうちに人生が終わるだろう


言っても無駄だろうが(通じないだろうが)
誹謗中傷はやめようよ
あなたが精神を病んだ人ではないと
いうのなら誹謗中傷はやめられるはず
それは社会では「してはいけないこと」
のルールにお当てはまることを
自覚してほしい





幸いなことなのか?もんちっちは
脳が正常に機能していない人の
見分けがつく


ただ一般の人には
正常なのか異常なのかの見分けがつかない
もんちっちは医者ではないが
幸い仕事上の必要もあって医学はもちろん
心理学にも関わり接してきた経験があり
大概の異常者は見分けがつく
(ブログからは書いている文章で
 大概見分けがつく)



誹謗中傷するのは
顔が見えない「匿名」という
独特の環境下であるということもある


ただそんなことをするおバカな人も
心を病んでいる病人の一人であることを
忘れてはいけない

目に見えない「人格障害」などは
数えきれないほどいる
そして人格障害には治療法がない
もしそんな人が自分の心を制御できずに
本当は助けを求めていたとしたら‥‥
なんとも悲しいことである



まともな人ほど誹謗中傷を真に受ける
しかし騙されてはいけない
誹謗中傷を書く人の内面には
制御できない心の悪魔が存在している

つまり精神を病んだ
悪魔のような脳の思考が
誹謗中傷化して表出されている





とはいえ誰だって傷つきたくない


それには
同じ土俵に立たないことが唯一
自分を守る方法
である


一切の誹謗中傷を拒むなら
交流を断つことしかない
つまりブログで言えば
コメント欄を閉じておくことである
それでも交流を望むのなら
受け取る側にも「心構え」が
必要となる
一定数のリスクは覚悟が必要である


これはいじめられ側にも問題があるという
思考につながりかねないが
そうではなくて
いじめるこが罪悪であることに
変わりはない





世の中には悲しいことに
一定数の精神を病んだ人がいる


誹謗中傷する人間も
実は病んでいる人という事実



非礼な言い方ではあるが
危険やリスクを回避する自信がなければ
かかわらないほうがいい


つまり「かかわるな」
「相手にするな」である
相手の言葉に反応して抵抗すればするほど
誹謗中傷する人は快感を得る


誹謗中傷する人に
脳の機能が正常な人が反論し
説得しようとしたとしても
その気持ちは届くことはない
なぜなら脳の機能が正常に
機能していないからである


もし届くとしたら罪人として告発し
制裁をかけてバツを与えることなのだろうが
その制裁とて
時として逆恨みになり
被害に遭う可能性もある



だから社会では異端児として
この存在を柔らかく隔離している
つまり見て見ないふりをして
やり過ごしているという現状がある


また逆に誹謗中傷している人も
精神を病んで放置された被害者ともいえる


この両者を平等(対等)に擁護できるのは
医者や学者の立場である



傍らで観ている私たちができることは
被害者を擁護することであるが
しかし扇動して騒ぎ立てるような擁護を
すればするほど
誹謗中傷者の欲求を
満たすことになることを
忘れてはいけない






人は誰しもが精神の「突然変異」を
起こす要素を含んでいる


ほとんどの精神疾患は遺伝を中心として
環境要因が引き金となる


脳の機能障害においては
目に見えない形で
多くは突如として発症する
そしてそれは誰の責任でもない


生まれたくて生まれた命もないし
産みたくて病児を産むわけでもないし
すべては偶然性の必然性である


しかし言えることは
誰しもが幸せになりたくて生きている
ということ
そしてその小さな幸せを
奪う権利は誰にもないはずである



言いたいことがあれば
本人を目の前にして目を見てはっきり
伝えるべきである
それができないのなら
その「言いたいこと」は
社会の中では不適切な言葉であることを
誹謗中傷者は感じてほしい
(これさえも無理なのかもしれないが)



人を殺める武器をなくしても
諍いは減らない
殺めようとする心を消さないと
殺人はなくならない
それと同じことだ





傷ついたあなたに伝えたい
あなたには擁護してくれる優しさと
思いやりのある仲間がたくさんいる
それを信じて
あなたを傷つけた愚かなかわいそうな
バカ野郎を赦してあげなさい


相手にすることなく
忘れ去ってしまうといい
彼にはあなたを傷つけたことさえ
気づかない心の闇がある


同じ土俵に立たないで


あなたの周りに広がる友情や同情の和を
大切に感じてほしい
あなたを傷つけた悪魔の心は
いつか淘汰されて消えてしまうものだから


無視するのがいい
ゆっくりでいいから
穏やかな気持ちに戻れることを
心から祈っています




Kさんに捧ぐ♡




※1分



※1分



Anyone can have a mental breakdown.
Defamation can deeply hurt someone's
 feelings.


N'importe qui peut être victime d'une 
dépression nerveuse.
La diffamation peut profondément 
blesser les sentiments de quelqu'un.

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