樹齢3000年の屋久島の弥生杉が倒れた

2024年9月4日 水曜日



再び雨


自然のことだから抗うことはできないが
できる限りの災害予防はしたい


今日のヤフーニュースで
屋久島の弥生杉が折れたと書いてあった




※30秒


屋久島上空で台風の目が崩れたことで
台風の勢力が弱まったことや
神秘的ととらえる人も少なくないようだ



”「弥生杉」が倒れたことを神様が宿っている
木のように感じるという思いは
単なる感傷ではなく
長年にわたり形成されてきた
日本の自然観や宗教観、文化的な価値観に
深く根ざしたもの。
このような感覚を大切にし
自然と人間のつながりを再認識することは
今後の環境保護や文化保存においても
重要な視点となる。”
という意見もあった



3000年か・・・
ん?京都にもあったっけ?
”京都~おおはら、三千院~”
あれは歌か(笑)


それにしても3000年も生きて
あっという間に散っていく
潔いのか定めだったのか
3000年の命の終焉に
少し衝撃を感じた






もんちっちのブログは
どちらかと言うとマイナーである
趣味もない、お金もない、若さもない
仕事もない、ないないづくしのただの
年よりのブログである
多くの共感を得られるようなブログではない


テーマもないし、ただその日に考えたこと
疑問に思ったことや、知らなくて知ったことや
だから受け狙いなどできないし
年代も中央値(50代の働き盛り)でもなく
単なる余命幾ばくもない「独居老人」である(笑)


な~んちゃって、といいながら
女高田純次で生きてきた(笑)
恥多き人生を生きてきた
そして気がついたら、この年になっていた(笑)





フツーの人と違うことと言えば
産みの親を知らないこと
小さい頃に家が破産したこと
父子家庭で育ったこと
いじめやいじめられは当たり前
問題児で親が臥学校に呼ばれることしばしば
小学校の頃には生きるのが辛かったし
中学生のころには厭世主義になり
高校生では人生どうでもよくなった(笑)
そしてろくに学校にも行かなかった



結婚は女優並みに?3回もした(笑)
親から逃げたかった
結果として離婚も3回した
最後は死後離婚した
愛されていなかったことを感じ
愛していなかったことを知ったから
相手を不幸にしてしまった責任を
重く感じた


自分が不自由だった分
子どもは自由にした
放任主義と思って好きにさせた
しかし単に子どもの愛し方を
知らなかっただけだと後で気づいた



父親を見送り
最後の夫も見送った


悲しかったことは子どもを
2度失いかけたこと
今は元気に生きているが(笑)


仕事はろくにできず
できもしない仕事をしてきた
自分の無能さと
世の中の足手まといであることを感じ
それでも働かなければいけなかったことを
辛く感じた壮年期だった
お金のために「心」を売った


死にたいなんて思うことは日常茶飯事
よく死なずに生きて来たもんだ
強靭なメンタル、鉄仮面か(笑)



今でも時々思い出す
どんだけ人々に
迷惑かけて生きて来たのかをね(笑)
だからあとは
静かに消えて行くことだけを望んでいる





誰にだって人生は辛い時がある
人によって辛さや悲しみの「閾値」は違う
つまり些細なことで苦しむ人もいれば
大きな出来事でも「なんとかなるさ」で
乗り切る人もいる


親のいない子だってたくさんいる
でもそんな子が「幸せな家庭」を望んでも
経験したことがないことは実現が難しい
母親のいない子が子どもの愛し方を知らないのは
ある意味、当然のことであるから(笑)



自分が苦労したなどと思ったことはない
「生きていれば、これが運命だ」と
思っていたから
ただ、自分の人生を振り返って
その場その場で、自分ができる最大限の努力を
してこなかったとつくづく感じている


よりどころのない人生の中で
「何のために努力しなければならないか」が
見つからなかったのかもしれない


自己肯定感が低い子は
自分を大切にすることにさえ気づかず
「若さ」を無駄にすることが多い




もんちっちのような「アホ」で「おバカ」な
人生の言い訳をするつもりは毛頭ない


学びは自分の周りのことを理解するための
ものではない
それを学ぶのには
先ずは自分を理解しないと意味がない


自分は何者で
何をどのようにして
生きて行こうとしているのか
それに気づかぬ限りは
学びはただの「時間の浪費」になる


例えば「自分はADHDだ」と知ったならば
自分の特徴を知って
その延ばせる才能に向かって
舵を切ればいい


サイコパスなら自分の特徴を知って
思考を変えて行けばいいだけのことである
(実際には難しいが)(笑)



変わりたいと思えば
変わることは不可能ではない


ただ人生においては残酷なことに
時間に限りがある
残念であるが
それに気づくのは「死ぬ間際」であろうか





ん? もんちっちは何が言いたかったのか?


そう、ブログの話だった(笑)


もんちっちのブログは
自分の病気と向き合う「闘病ブログ」でもないし
趣味や旅行などシェアできる情報もなく
お買い得情報もなく
政治や経済は無知に等しい


生育歴や結婚、子育てまですべてマイナーで
ブロガーさんに共感してもらえるような
記事は書けない


こんなもんちっちの記事を読んでくれて
コメントもくれて、ナイスもくれて
ムラゴンのお仲間には感謝している


優しくて、寛大な人が多いことを感じている
バーチャルな出会いではあるが
ひとまわり昔の自分が、いかにバカだったのかを
知ることもできたし
これからの自分が、どのような気持ちで余生を
過ごしていけばいいのかを教えてもらっている
ような気がしている



もんちっちはこれからも
歯に衣を着せない言葉で
素直に学んで感じたままを記していくだろうし
間違いや誤字もたくさん続くだろうと思うが
文字を書ける限りは続けていきたいと思っている


この一言が言いたいために
こんなに長文になってしまった(笑)



雨も猛暑も続きそうだが
体に気を付けて乗り切ろう!
明日に何があるのかわからないけど




できなことを数えるよりは
できること数えたほうが幸せになる♡




世界一アンラッキーな熊※1分



猫が喋った日本語 ※30秒



※1分



chéen jump'éel chan tuukul
ki'imaktal u yóol máak.

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