介護保険は崩壊し?家族介護がやって来る

2024年10月9日 水曜日



すっかり秋になった
昨日は最後の夏日になるかと思ったが
30℃にはならなかった
今日は長袖が必要なほど涼しい


狂気じみた猛暑が去って
何だか腑抜け?になってしまった
脳も御多分に漏れずボーっとする
あ、もともとボーっとしてたか(笑)





 (カリフォルニアの青い空) / ALBERT HAMMOND




昨日yahooに家族介護の記事が載っていた


”義父の介護を20年してその後義母も要介護の
状態になりさらに介護が続き
やっと解放されたかと思ったら、今度は
75歳の夫が認知症になった・・・という”



コメントを読んでいくと


・妻が義父母の面倒をみるのはおかしい
・夫は何してたの?
・夫の親だから夫がもっとかかわるべきだった
・夫には施設に入ってもらえばいいい
・自分(妻)の人生はどこにあるの?


今もそうかもしれないが?
特に長男の妻は「嫁」の要素が強い
まして専業主婦であれば
「働いてない」と思われる
家事は重労働であり「仕事」と変わらない
しかも無報酬である
挙句に「食べさせてもらっている」という
レッテルを貼られる


分業といえば分業だが
夫は仕事をする
妻は家で家事をする
それが古典的な分業だった


疲れるのなら疲れにくいように仕事をする
(働き方改革)
専業主婦も「家事労働」という仕事を
しているという認識を広める
疲れているのはいお互い様
そして喜怒哀楽を分け合う思いやり集団
であることを思い出せば
妻が単独で両親の介護をするという
発想には至らない
(もうそのような認識はすでに
若者の間にはないようだが?)


そもそも若者(すべてのではない)の考え
には、「家族介護」という概念さえ
消えつつあるのかもしれない





親の年金が15万あっても
入れる施設はないに等しい


・有料老親ホームはピンキリであるが
入居金数千万のところも少なくない
入居金なしであっても最低毎月の利用料が
20~30万かかる


・特別養護老人ホーム
個別対応(ユニット式)だが多床室だと
収入に応じた負担で5万円程度から入所できる
認知症も可だが、奇声や暴力傾向があったら
入所できないことが多い
終の棲家となる人が多い
ちなみにユニット式だと月に15万以上


・認知症グループホーム
1ユニット9人の少人数対応型施設
月に15~20万程度かかる


主な施設はそんなところだが
親の年金で足りずに子どもたちで足し前したり
親の貯金を崩して支払っていることが多い



(昔の話はしたくないが)(笑)
一般論でいえば
お金のある人は相談には来ない
自分たち家族で解決能力があるから
相談に来るのは金銭的に困難な方たちが多い



在宅介護では
様々な介護保険サービスを利用しないと
介護は難しい
デイサービスで時間を潰し入浴して帰宅する
食事もついているので賄える
寝たきりになると訪問入浴でバスタブ入浴できる
しかし家にいる間の食事は宅配か
独居ならホームヘルパーに作ってもらえるなど
支援できる項目は増える



ケアマネージャならわかると思うが
それももう限界にきている


ケアマネージャも安い給料で国から善意の搾取を
されている
訪問医療を受けられない人の通院まで
支援しなくてはいけないこともある
もちろんそれはケアマネージャの業務にはない
介護の経験者であればオムツ交換でさえ
しなければいけない状況も出てくる


「割に合わない仕事」の一つである



これからは介護保険がなかった
25年前に戻るのか?
医療と分離した時点でそれはないだろう
病院への長期入院で今度は医療が
日本の財政を圧迫する



※故郷の写真(笑) もんちっちの家ではありません(笑)
もう親戚もいないのに
なぜかここに帰りたくなる



保健・・・未病の期間を延長することで
健康寿命を伸ばす


医療・・・主に回復可能な疾病を治療し
社会復帰を図る


介護・・・生活の質を保持し個人の自立を
図る



介護は人生の最終的受け皿


日本が今までしてきた無駄遣いに気づき
これから縮小していくであろう社会に
適応していけるような政策を期待するしかない



これからは主に老々介護や独居の人に
限定されて行くかもしれないが
そうなると財源がなくなる
自分が使えない介護保険を支払おうと
思う人はいなくなる
40歳から払い続ける介護保険料も
いうまでもなく若者の納税の
過負担になっている


まったくお金がない人は生活保護で
介護の現物支給もある
中途半端に稼いで中途半端な預金を持つ人が
一番苦労する
死ぬときには自分の火葬代しか残って
いなかったってことはよくある
(もんちっちは火葬代も残らないかも)(笑)



理想を言えば
高齢の両親は子どもの家の近くに転居する
のが一番いいい
歩いて行ける距離なら何かあっても
様子を観に行ける
買い物や簡単な調理もたまには手伝える


いよいよオシモのことが
自分でできなくなったり
認知症が進行して徘徊が進むようになったら
「施設」入所は避けられないように思う



きみまろの漫談にあるが
「長生きしてね、長生きしてねというけれど
長生きしたら、あんたが面倒みてくれるの?」


自然な老化にさえ過剰な薬を投入し
延命を図ってきた
年よりは儲かる、特に末期の患者には
高価なアルブミンまで投入した
そんな医療も反省すべきところが多々あった





介護保険は高齢者の自立のために作られた
(あとは女性のための介護負担の軽減)
子どもに迷惑をかけずに
できる限り自立して
余生を自分らしく生きていくためにも
「心の自立」が大切なように思う



90になった近所のおじいちゃんが
もんちっちの職場の前の歩道を
一日2回欠かさず
杖をついて丸まった背中で散歩していた
のを思い出す


姿を見なくなったのでおばあちゃんに聞くと
突然倒れて、そのまま亡くなったと
言っていた


最後の一歩まで、自分の足でしっかりと
歩いていた


2025年、団塊の世代が後期高齢者になる
これからの私たちの背中を
若者が見て育っていく






※13分



懐かしい・・・
やっぱり昭和が好き(*_*)

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