「もっと言ってはいけない」こと
2024年10月16日 水曜日
※2023年12月5日
過去記事より一部引用
「人には言っていいこととそうでないことがある」
どこかで聞いたような言葉である
正論で真正面から立ち向かっていくと
論破された陣営が言ってくる言葉である(笑)
”正論を拒むのは、人間の本能かもしれないと
私は思うようになった。
正論は強い、正論には反論できない、
正論は人を支配し、傷つける。
人に何か正しいことを教えようとするなら
「どういう関係性の中で言うか?」を
考えぬくことだ。
それは正論を言うとき、自分の目線は
必ず相手より高くなっているからだ。
教えようとする人間を、好きにはなれない。
相手の目線が自分より高いからだ。
そこから見下ろされるからだ。
そして、相手の指摘がはずれていれば
それくらいわかってる
バカにするなと腹が立ち
相手の指摘があたっていれば
自分の非が明らかになりいっそう腹が立つ。
望んでもいない相手に正論をふりかざすのは
道行く人の首根っこをつかまえるような暴威だ。
ましてあなたと対等でいたい
あなたより立場が上でいたいと思っている
相手なら、無理やりその座から引き摺り下ろし
プライドを傷つけ、恥をかかせる。
だから相手は、あなたの言っていることの
効能を理解するよりずっとはやく
感情を害してしまう。
理性より感情の方が
ずっとコミュニケーションスピードが速い。
相手はあなたを「自分を傷つける人間だ」と
警戒する。
正論をかざすことで、あなたの「メディア力」は
下がってしまう。
先にメディア力ありき
相手は、そういう人間からの言葉を受け入れない。
だからあなたの言う内容が
どんなに正しく利益になることでも
なかなかうまくことが運ばないのだ。
言葉は関係性の中で、相手の感情に届く
あなたの話はなぜ「通じない」のか
山田ズーニー 著より引用”
※福島印刷社長の手記より
なるほど・・・
人間は感情の生きものであった(笑)
たくさんの支持や共感を得るには
「感情」に訴えることが必要ということである
著者 橘玲(たちばな あきら)本名:上田高史
橘玲は出版物やサイト上では顔を公表していない
顔を隠す必要性についてはよく理解できないが
神秘手法を実践しているように思われる
言ってはいけないことを「暴露」して
前作は60万部を売り上げている
彼がこの著書でいくつかのタブーを解禁している
遺伝子決定論は
人のすべては遺伝子で決められるという
考え方である
一方、環境決定論は
環境によって境遇は変えられるという
考え方である
つまり努力が足りないから
困難が乗り越えられないと考える
しかし行動遺伝学は
遺伝の影響が、身体だけでなく
心にも及んでいることをも明らかにした
・遺伝の確率の例
統合失調症:82%
双極性障害:83%
ADHD:80%
身長:68%
体重:74%
このような科学的データによる事実は
日本では「残酷な事実」として
言ってはいけないこととして
多くはオブラートに包まれているが
欧米では広く公開されている
日本では「言ってはいけないこと」
欧米では「知るべき事実」である
(日本は自然と調和して自然の中で生きてきた
欧米は自然を開拓し自然を克服して生きてきた
そんな基本的な精神まで欧米に追従する
必要はないのではないかと思うが
日本の良さを生かしつつ
欧米思想に迎合することなく
調和していくことはできるような気もする)
行動遺伝子学で明らかになった事実は
これはどんなに努力しても
どうしようもできない現実があることである
教室崩壊やコミュニケーションの障害は
親が悪いのでもなく
子育てが悪いわけでもない
そして努力では変えられない人を
この上なく傷つけることになる
このような本当のことを隠蔽し
きれいごとだけを言っていても
世の中がよくなるわけではないと
橘は言っている
議論するには
議論の大元が間違っていれば
議論にならない
つまり環境決定論が前提の議論では
解決策が見いだせないと、橘は言う
次に興味を引いたのが
セロトニン運搬遺伝子からわかる日本人
セロトニンが多いと楽観的
少ないと悲観的となる
日本人は悲観的な傾向にある
日本人は敏感で「ラン」に例えられ
アフリカ、ヨーロッパ系は鈍感で
「タンポポ」と比喩される
タンポポはストレスのある環境でも
たくましく育つが
ランはわずかな環境の変化でも枯れたりするが
適切な環境下では大輪を咲かせる
だからこそひとつの環境がすべてだと思わず
今いる環境が自分の居場所ではないと
感じているのなら
「咲ける」場所へ
移動する勇気も必要であると、橘はいう
言ってはいいこととそうでないことがある
これは日本人の「奥ゆかしい」思いやりとも
いえる
どうしても言わなければいけないことは
「言い方」やタイミングを考えて
伝えなければいけないと思った