嫁と姑は永遠のテーマ?
2024年11月26日 火曜日
核家族であまり身近に感じることが
なくなった「義娘」
同居していた時代の「嫁」は
とんでもない苦労をしていた人も多い
(今みたいに)離婚しても実家には
歓迎されないし、世間体も悪い
否が応でも姑と時間を共にするしか
なかった
子どもの世話、掃除、洗濯、炊事など
家事すべてをこなしてきた
挙句の果て、最後には義父母の介護が
待っていた
それから女性が開放されたという意味では
核家族化は有効に働いた
でもね
もうそんな義父母はいないと思う
さんざん親の苦労を観てきたから
同じ思いを「嫁」にさせないと思うんだ
逆に自分がだれにも頼れなかった
核家族化の大変さを肌で感じてもいる
子どもを食べさせて、学校にやって
自分は種芋になっても頑張って来た
昭和の働く戦士(男)は仕事に没頭押し
(女は)家事や子育てをひとりで担ってきた
子どもも核家族の家庭しか知らないから
欧米並みに「独立」が目標になる
しっかり仕事をして自力で食べて行ける
ようにと、親も子どものレールを敷いてしまう
それがさらに溺愛の反動になって
「親子の良好な距離感」を失わせて
しまったような気もする
親は年老いても若いうちは
子育てからの解放感と
責任感が軽減されて安堵して
「残りの人生は自分らしく」
「自分のためだけに生きよう」
「自分の好きなことだけやっていく」
それが心の支えとなる
ま、それほどに子育ては大変なことで
大仕事をなし終えた解放感は
よくわかる
それほどまでに大切に手塩に育てて
もらった子どもたちは
巣立ってしまったら「じゃーね」と
出たっきり振り返ることもない
いや、困ったときだけ頼ってくる(笑)
子ども自身が巣を構え家庭維持の大変さを
痛感したころに実家に「顔を出した」時には
取り返しのつかないくらい
元気だったはずの親は老いている
なんか日本人って
「親子の距離感(時間を含めて)」を
取るのがへたくそなんじゃないかって思う
嫌これは世界共通なのかもしれない
一時、欧州で老人の自殺が急増した
いわゆる孤独死だ
立派な施設があっても
お金があっても、老人は不幸だった
福祉国家スウェーデンの高齢者の自殺は
1965年から1975年頃は世界で3番目に多かった
(今はロシア、ハンガリー、日本の順に多い)
※WHO「World Health Statistics Annual
1999,2000」による
そして韓国でも老人の自殺は急増している
いったいなんで高齢者が生きていたくないと
思うのか
日本の場合は
身体的負担、家族への精神的負担
喪失感と孤立
子どもは、まずはこんな親世代の気持ちを
理解することも必要なのかもしれない
若い時には老いていく人間の
イメージさえわかない
「嫁」へ
同じ女性ではあるものの
育った環境や価値観が
まったく違う赤の他人が嫁姑
年齢差が大きく
息子を育てたという自負などから
姑と嫁の間に上下関係が生まれる
結婚生活を続ける以上
姑との関係は切っても切れない縁である
母親は子どものことをずっと
「子ども」と思う
だから息子が大人になっても放置できず
心配になってしまう
そんな姑は息子や孫を大事にし
(無意識に)嫁を大事にしない傾向がある
そして生活してきた世代や環境が違うため
考え方の違いで衝突する
姑が嫌味をいうのは
息子夫婦に意見を言いたいというより
自分が今の生活に満足していない
ことの裏返しであることが少なくない(笑)
そんな姑の心の不満を
嫁が引き受ける必要はない(笑)
遠回しな嫌味には
とズバリと優しく言い返すと
フツーは姑も我に返る(笑)
嫁が姑に意見を伝えるときは
夫にクッションの役割を
果たしてもらうのがコツ
姑との関係性が深い夫に意味合いや言い方を
変えてやわらかく伝えてもらうといい
(親にもよるが)(笑)
「息子」へ
妻の不満を受け止めつつ
教え諭すべし
そして妻にはとりあえず
まず妻の味方であることを伝える
どんな不満でも母親にぶつけず
まず自分にぶつけること
これは妻が間違っていると思えることでも
必ずいったんは受け止める
母親への注意は自分が責任を持ち
二人のことは二人で解決していこうと
妻に誠実に約束する
これが夫婦円満のコツである(笑)
どちらが原因であっても
こちらの言い分が通じなくとも
それで親との縁は切れるものではなく
嫌いだから、話が合わないからという理由で
人と絶縁していては社会で生きていけない
(親の種類にもよるが)(笑)
たくさん学んだ人や苦労をした人ほど
許容力は大きい(はず)
さまざまな体験や学びを通して
白黒はっきりさせない解決法が
効果がある場合も多い
心を広く持って焦らず誘導することも
嫁と母親のはざまにいる人ができること
両方の愛に翻弄されるのではなく
両方の愛のゆりかごで揺れていたほうが
自分の精神衛生にもいい(笑)
以前の記事にも書いたが
「閉経したシャチは
自分の息子しか守らない」
これを思い出すと
嫁も姑も、お互いの立場が分かる
同情と共感
ほんの少し、そんな気持ちがあれば
嫁と姑は、きっとうまくいく(笑)
姑である同志へ
考えてみたら同居しようが
離れて暮らそうが
赤の他人に自分の大事な息子を奪われた
喪失感は大きいし、奪っていった嫁は
盗人に等しい(気持ち)
だから憎らしいし、意地悪もしたくなる(笑)
それが普通の心理じゃないかな?
「子どもなんて嫁さんのいいなりだしさ」
と、聞いたことがある
いいじゃんそれで、と思ったことがある
嫁さん一人愛せない男になってほしくはない
もんちっちは
子育てや夫婦関係や孫のことにまで
口出す気は毛頭ない
自分がそうだったように
失敗してみなければ納得しないだろうし
だからよほどのことがない限り
何も言う気はない
本人たちがいつか気づいて
軌道修正してやり直せば済むことである
自分の息子を信じて
観てみないふりをして見守ることが
巣立っていった愛する我が子に対してできる
最大の愛情表現なのではないかと
もんちっちは思う
「自分が愛する者の愛する者を愛する」
そういう気持ちがあればうまくいく
もちろん
傷ついて帰ってきたときは
温かく「おかえり」って
迎い入れてあげられる
精神的な余裕は持っていたい
そして忘れずに
足腰立たなくなる前に
自分のしてみたかったことの実現を
忘れずにしよう
晩秋はやがて冬になり
その時はたくさんの思い出を
一つ一つ紐解きながら
懐古する時代が来るまで
そして最後に
これでよかったんだって
人生を終えられるようにね
ダメダメ人生の見本みたいな
もんちっちの人生にも
もうすぐ冬が来る(ノД`)・゜・。
※2024年1月29の記事より
YESTERDAY - The Beatles
※2013年ホワイトハウスで70歳を超えたポールが
歌ったライブバージョンです