イルミネーションのひとりごと

2024年12月3日 火曜日






横浜赤レンガ倉庫 ※40秒



横浜にも今年もクリスマスの明かりが灯った♡



そしてもんちっちの村から近い宮ケ瀬にも・・・



【神奈川・愛川】12/25まで!宮ヶ瀬湖 ※1分




そしておなじみの湘南



★湘南の宝石 ※1分



さすが1000万都市東京にはかなわないが


*あしかがフラワーパーク「光の花の庭」
*さがみ湖イルミリオン
*江の島「湘南の宝石」


関東三大イルミネーションと言われている



赤、黄は日本人ではないが
青色のLEDはメイドインジャパンである(笑)


LEDによって省エネのイルミネーションが
実現した
家庭のイルミネーションはそれと逆行して
激減したような気がする
普通の電球だったころの家庭の電飾には
月に10万から20万かかると聞いたことがある
まさに昭和の裕福さの象徴だったのかもしれない


今はもんちっちのアパートのベランダでも
電飾できるが・・・
見てくれる人がいない(笑)





凛とした寒い冬の夜
コートの襟を立てて
急ぎ足でひとり街中を通り抜けるとき
ふと見上げた空に
イルミネーションが
何も言わず瞬いている



「ひとりぼっちじゃないよ」
「私も短い命だけど一生懸命輝いているよ」


「明かり」と言う言葉で
イルミネーションは
メッセージを送ってくれる


イルミネーションのひとりごと・・・か








愛のアンジェラス スペイン映画(原題・海のキリスト)1971



中学生のとき劇場で見た


信じれは母に会える
そう思っていた




育ての母親(養母)と分かれたのは7歳のとき
この映画を観て間もなくして
7年ぶりに母親に会った



中学校の校門で
雪の中で一人で立っていた姿に
母親であることを確信した
(もんちっちの下校を待っていた)




「何か欲しいものはない?」と聞かれて
「なにもいらない」と答えた
「好きな食べ物は何だったの?」と聞かれ
「キャベツのお味噌汁」と答えた



欲しかったものは「おかあさん」
食べたかったものは
幸せだったころお母さんが作ってくれた
キャベツのお味噌汁・・・



結局買ってもらったのは
映画音楽のサントラ盤のLP
そしてレナウンの赤のダッフルコート


それから数回札幌で会って
しばらくして病院から電話が来た
くも膜下出血で危篤だと・・・







再会後何度か会ったときに聞いた
「もとには戻れないの?」と聞くと
母親は「覆水盆に返らず」と言った


そうじゃない
「私はお母さんに連れて行ってほしかった」
そう伝えたかっただけ




あの日から私は「へその緒のない子」
行く先のわからぬ海を
只管彷徨う難破船のまま




一命を取り留めた母は妹に引き取られ
秋田の精神病にいたらしい
問い合わせても個人情報だからと近況を
教えてさえもらえなかった



母親の親戚とはその後いろいろあったが
母の名誉のためにも
自分が墓場まで持って行くつもりである



お母さんって
一体どんな存在なのだろう



もんちっちにとっては
世界の七不思議のひとつである(笑)





ばばちゃんさんに捧ぐ



The darker the night, the brighter the stars.
―― Fyodor Dostoevsky





(笑)

ChatGPTにイギリス英語を調教してみた ※1分



※能登地方12月要注意

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