子どもたちに遺す日記

破廉恥で破天荒な希少な人生 後悔号の船に乗って今日も航海します♡

南西諸島の海底にアメリカが落っことした水爆が眠っている

2025年4月17日 木曜日



☆16日10時42分東南インド洋海嶺

(オーストラリア南西)で M6.6の地震




なんとなくネットを見ていたら

興味深い記事を見つけた



スービック海軍基地を出港してから31日後の

1965年12月5日、タイコンデロガではA-4E攻撃機の

核兵器搭載訓練が行われていた。


14時14分過ぎ、第2格納庫ではA-4EにB43核爆弾が

搭載された。

その後A-4Eにパイロットのダグラス・ウェブスター

中尉が搭乗し、機体は飛行甲板の方バルトまで

移動させるため第2エレベーターに乗せされた


だがエレベーターの上昇中にA-4Eは滑り落ち始めた。

乗組員は必死で食い止めようとしたが、その場で

機体を旋回させるにとどまった。


またウェブスターに合図を送ったがウェブスターは

うつ向いた状態で反応はなかったという。

A-4Eはエレベーター横のネットを突き破り

仰向けで海に落下した


A-4EはB43核爆弾とともに水深4800メートル以上の

深海へと沈み、回収されることはなかった。

なおその後の米国の発表によると、放射性物質の流出

や核爆弾が爆発する恐れはないとしている。


1966年米海軍はアメリカ議会への報告はしたが

日本政府への報告は特段なかったという。

1981年に一応報告はあったが詳細は知らされなかった。

1989年米当局は事故を公表し、爆弾の紛失を認めた。”

※ウィキペディアより一部引用







佐藤栄作は非核三原則でノーベル賞をもらっている

事故は横須賀に入港するときに起こっている

水爆を落とした海域は沖縄に極めて近い


しかも自民党政権から民主党に移行したことで

外交文書が暴露され国民は初めて詳細を知る

しかし1989年に米誌ニューズウイークがもみ消しを

図り翌日にNGOグリーンピースが事実を暴露した



当時日本でも大きなニュースになったのであろうが

まったく記憶にないほどもんちっちは

世界の動きに疎かった

(バカだった)(笑)

こんなことがあったんだ・・・と

いまさらのように驚いている





1980年当時アメリカの空母の中を見せてもらった

ことがあるが(現在はすでに廃船)

核の保管場所も教えてくれた(内緒で)

そもそも空母は原子力で動いているし

核を搭載しない空母は戦闘の役に立たない


政府は知っていたであろうが

なぜ佐藤栄作がノーベル平和賞を取れたのかが

いまだ七不思議のひとつである

そして国民は長いこと蚊帳の外に置かれていた


すべてを透明にできない事情もあるだろうが

(国際情勢上)水爆を落っことしちゃったことも

ずいぶん長いこと内緒にされていたことに

今更ながら憤りを感じる


ロスアラモス国立研究所の文書では

落っことしたのは一個ではなく二個だったとも

記されている





それでなくても日本は地震大国である

地殻変動があっても触発されないという保証は

どこにもない

事故は気を失った一人の中尉のミスによる過失で

解決されたようだが

60年ものあいだ水爆は日本の海底で眠っている

のも事実である


どうかこのまま永遠に静かな眠りについていて

ほしいと・・・祈るしかない







【岡田斗司夫】唯一の被爆国である日本で核シェルターが普及しない理由※1分



なんで日本に核シェルターがないのかが

やっとわかった(笑)

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