な~んちゃってばあちゃんの見聞録

おうち大好き引きこもりばあちゃんが知らないことを考えて知ったことや思ったことを書き残しています(*^-^*)

母の日が近づくと思うこと

2025年5月3日 土曜日



☆2日、南米西部ドレーク海峡でM7.5の地震



2015年5月9日

※過去記事に一部加筆



長女からお花が届いた
お花を送ってもらえるような 
いいお母さんではなかったのに(笑)





私には夢があった
一緒に料理を作ったり
一緒に旅行に行ったり
子どもたちと したいことが
たくさんあった


それも事情があって
なにひとつ実現できないまま
子どもたちは旅立って行った



私は産んでくれたお母さんを知らないし
6歳まで育ててくれたお母さんとの
記憶もほとんどない


だから余計に温かな家庭がほしかった
でも 温かい家庭がどんなものなのか
知らないから 
自分にはできなかったんだね、きっと



知らないものを作るのは至難の業

そして母親らしいことは

何一つできなかった


でもこうして毎年
お花や贈り物を送ってくれる


何もしてあげられなかった
名前だけのような母親を
忘れずにいてくれることを
心から感謝している


事故で脳障害を持ちながらも
一人暮らしで頑張っている次女も
紆余曲折ありながらも
自分の道を歩んでいる息子も

辛い思いで生きてきた長女も

みんな、生まれてきてくれて

ありがとう



次女は昔、私の古い日記を読んだらしく

いまだに

「私は生まれないほうがよかったんだよね」

と時々話すけれど

夫婦げんかで腹立たしさに書いた一文を

私の本心だと思っている次女を哀れに思う


どこの親が自分の子どもに

あんたなんか生まれてこなきゃよかったんだよ

と思うだろうか


いまだのその話を次女の口から聞くと

ほんの一瞬でも文字に残してしまった自分の

愚かさを

一生償っていかなければいけないのだと

毎回奈落の底に落とされた気持ちになる

自業自得という因果なのかもしれない



唯一わかることは

私は子どもたちがいたから
生きて来れたんだろうと思うこと



いつかどこかへ
みんなで旅にでも行きたいね


今はみんなが幸せでいてくれることが
ダメ母の唯一の願いです






2024年5月追記


いろいろありながらも

みんな自分の道を歩んでいる
私は子どものためのレールは敷いて来なかった
そのことを半分後悔はしたが
結局は自分の道を自分で選んで
三者三様に生きている


それでいい


しくじり人生の私には
誰かにこうしたらいいよなんて言えない
私の失敗を観て
「ああしたらこうなる」を反面教師として
学んでくれればいいと思っている


・人にされて嫌なことはしない

・嘘はつかない
・「ありがとう、ごめんなさい
お願いします」という気持ちを忘れない
そんな些細なことしか教えなかった


母子家庭でお金がなくて塾にも行かせられず
高校の資金から奨学金を借りさせた
奨学金は全員完済したと言っていた


こんな私のようなバカな人間からも
誠実な子は育つ


真ん中の子はひん曲がって大きくなった分
まるで天罰を受けたかのような人生に
なてしまったが
矯正する機会も与えられずに今も苦しみのなか
精いっぱい生きている


彼女へのバツだったのか
もんちっち自身へのバツだったのか

わからないが
本人と同じくらい

私も同じように苦しんでいる


どんなに守ってあげたくても
どんなに強く抱きしめても
抱きとめる腕をするりとすり抜けていく
次女はそんな子だった


早く幸せをつかもうと無理した結果が
彼女の人生だったのかとも思う
これからはゆっくりと
周囲の人たちに助けてもらいながら
自分の人生を歩んでほしいと思っている



親としてたった一つの思い
三人、助け合って仲良く生きてほしい
それだけ







”批判ばかり受けて育った子は
非難ばかりします


敵意に満ちたなかで育った子は
誰とでも戦います


ひやかしを受けて育った子は
はにかみ屋になります


ねたみを受けて育った子は
いつも悪いことをしているような
気持ちになります


心が寛大な人のなかで育った子は
がまん強くなります


子どもたちはこうして生き方を学びます


励ましを受けて育った子は
自信を持ちます


ほめられるなかで育った子は
いつも感謝することを知ります


公明正大ななかで育った子は
正義心を持ちます


思いやりのあるなかで育った子は
信仰心を持ちます


人に認めてもらえるなかで育った子は
自分を大事にします


仲間の愛のなかで育った子は
世界に愛をみつけます”



CHILDRENLEARN WHAT THEY LIVE
ドロシー・ロー・ノルト 1954年





1972年



母の日になると
この曲を聞いては泣いていた


母親のいない自分がみじめだったのか
自分を捨てて行った二人の母親を
恨めしく思っていたのか
でももうそんな気持ちは消えた


産んですぐに手放さなければいけなかった
実母の理由も
6歳の私を置いて家出しなければいけなかった
養母の理由も
今は十分に理解できるから
もう、誰も恨んでもいないから



きっと母親ってこんな存在なのだろうと
人から聞いてきたことは
確かなのかもしれない



しかし母を知らない自分には

生涯、母を語ることができない

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