バチカンの狂気~信じがたい真実
2025年5月8日
先日ネット上にトランプのフェイク画像が
投稿されたそうだ
本人は関与を否定している
※TBS NEWS DIG Powered by JNN
今流行の加工画像である
これを冒涜ととらえるかブラックジョークと
捉えるかは人それぞれの立場や考え方による
宗教に全く関与しない人にとっては
関係のないことともいえる
しかしその文化を尊敬するのであれば
ジョークにすべき素材ではない
世の中、暇でアホなことする奴がいるもんだ(笑)
正直この記事を書こうかどうか悩んだ
もんちっちは形だけでも昔は30年来の
信者だったから
この真実を知ってはいたが
カトリック信者への冒涜になるのではないかと
思っていたから口外するのには心が引けていた
著者も敬虔なカトリック今日の信者であり
だからこそ真実を公表して
改善すべきだと訴えている
教皇は失礼な言い方ではあるが「人間」である
こんなに頑張っても「神」にはなれない
私たちと同じように罪も犯せば間違いも犯す
事実であれば正して教会の体制そのものを改め
世の中の苦しみや悲しみを持つ人の心を
本当の意味で支えることができる「教会」を
作ってほしいと心から願っている
すべての詳細はこの本の中に書かれている
教会は一種独特な世界でもあり
文化の中で秘密裏に行われていたことなので
カトリック信者でも教皇の悪戯は
知らない人がほとんどであると思う
AMAZING GRACE LEGENDADO english português 日本語
「虐待」の一部は日本にも同じような文化が
過去の時代にあったが
現代の視点や尺度では許されないことが多い
性的な、しかも少年への虐待については
ジャニーズのことのように
今はもう世界では許されてはいない
デビさんが「歴史を見れば昔からあったこと」
と発言し、しばらくたって認識を新たにした
会見で「後に自分が間違っていた」と釈明した
のは記憶に新しい
宗教の教義はある意味恒久的なものである
しかし世論や世の中の慣習の変化によって
今を生きている人たちの価値観の変容にも
迎合するものであることが
信仰への意義を人々に繋ぎとめるものでは
ないかと思う
世俗とかけ離れたものであれば
信仰者の心が離れていくのも自然なことである
無宗教者が世界中で増え続けているのも
頷ける
今はまさに新たな次の世代の教皇へと
バトンを渡されるその時期でもある
宗教を信じている多くの人のためにも
多くの人の心の支えであり続けるためにも
バチカンの正義を取り戻してくれることを
心から願っている
人々のすべての罪を背負って
十字架に張り付けられ処刑された
神の使いの真意を
人々は忘れてしまったわけではないだろう
宗教とは何なのかを
ふと考えた一日だった
(笑)

