どこも「定員割れ」 見合った給料を!
2025年5月14日 水曜日
長野県の看護学校が定員割れになった
とのことが読売新聞の記事になっていた
医師や自衛官の不足はよく聞く話だが
ともに命を懸けた仕事であるにもかかわらず
給与の格差は想像がつくところである
少子化なのだから学生が減少するのは
わかっていたことだろう
モラトリアムとしての大学の存在は
そろそろ見直してもいいのではないかと思う
成人した学生を遊ばせておく余裕は
社会にはない
遊ぶのは学び時間やバイト時間の
やりくりをすれば
在学中にでもできることである
好きな研究に打ち込むとか
専門技術を磨いていくとか
大学が一部職業訓練校的な要素を持っても
いいのではないかと思う
(もともとの学校の始まりはそうだった)
入るのが難しくて出るのは簡単な
大学制度の在り方も、大いに問題な気がする
これでは優秀な人材が育たない
看護師は「士」ではなく「師」である
誰かに後継していく責務を持つ
だからかわからないが昔は異常に厳しかった
学生は寝ずに記録をし、看護計画を立て
臨床実習に出れば昼ご飯のあとで
ほんの一瞬でもウトウトしようものなら
翌日の朝礼でさらし者になった(笑)
とことん叩き潰される
大工の棟梁と同じだと当時は思っていた(笑)
悔しさで泣くことは日常茶飯事
とことん潰されて自分の無力さを知り
落ち込んでは再起する
何度もやめたくなって逃げだしたくなる
髪の毛一本もしっかり束ねてヘアピンでさらに
止めるように毎回チェックされる
みんなそうやって育ってきたんだろうと
職業人としての登竜門だと思って
歯を食いしばって頑張ったような気がする
しかしこんな環境の中では
自分に厳しくなる分、他人にも厳しくなる
意地悪な人や仲間につらく当たる人が
育っても不思議はない
いまだに当時の看護教育に関しては
疑問が残っている
半世紀も前のことなので
軍隊と同じ体制であったようにも感じる(笑)
しかし命を預かる職業は
他の仕事とはちょっと訳が違うと
今でも思うところがある
ネイルのような長い爪は患者の皮膚を
傷つけるから爪を伸ばすこともできない
いまだに爪が延びると不潔に感じて強迫観念
のように爪を切ってしまう(笑)
外見も大事だからカラーリングなんてありえない
古い時代の人は嫌うから化粧もしない
そして国公立には全寮制もあった
勉学に集中するためという理由だった
そんな中で感じたのは
チャラチャラした気持ちでは命を預かる仕事
につくのは不可能であるということ
一つ間違えば患者は死んでしまう
養成時も就職後もそのことに変わりはない
そんな厳しい世界に嫌気がさしたのと
バイトしているのが学校にバレたのと
サラ金の借金取りが家に来た時に
「お宅には娘さんがいたよね」という
会話を聞いたのが決定打になって
2年であっさり退学してしまった(笑)
親が借金抱えているのに
自分の学業を続ける気は起きなかった
まして自分が身売りされるかもしれないという
危機感は大きかった(笑)
その後は水商売を掛け持ちしたり
自動車業界や不動産業界の営業に就いたが
当時は男性社会
「女はお茶くみをしてればいい」という
言葉を何度も聞いた
まして小娘から車や不動産を買う人はいなかった
もういいや
どうでもいい人生・・・
どうにでもなれと、その日暮らしをしていた
そんな自暴自棄半分の人生の中で
最初の夫と出会い渡米した
心機一転、人生をやり直したいと思った
最近は夢に見ないが
看護学生だった頃の夢を見て飛び起きる
「遅刻だ!」と(笑)
私が再び看護学校に挑んだのは
長男が入院して生死を彷徨ったとき
小さな子供用ベッドに添い寝していた時に
夢を見たことだった
頭の中で声がした
「あなたのし残したことは何か
何を悔いているか」と
嫌気がさすとなんでも途中で放り出して
生きてきたこと
そしてその中の一つに「学業の中断」があった
長男が2歳の誕生日を迎えるときだった
2歳の長男と3歳の次女と小学生の長女を連れ
2度目の離婚を決意し、看護学校に挑んだ
その後母子家庭の貧乏な生活を送った
奨学金を借り、社協から福祉金も借りた
学校を卒業するまでの費用は1000万近かった
お礼奉公で働き、残った500万は10年かけて
50歳で返済した
この間、父親が見かねてか長女を連れだし
高校入学まで返ってくることはなかった
毎月養育を口実に?毎月10万円渡し続けた
貯金などできる余裕もなく
もちろん海外旅行など行けるわけもなく
子どもたちは貧乏なまま大きくなっていった
看護学校へは社会人として入学したが
それでも精神的にハードルが高く
昔の出来事を思い出すことも少なくなかった
自転車の前と後ろに2歳と3歳の子を載せ
氷雨の日もカッパを着せて保育園と学校
職場を往復した
「ママ、寒いよー」という声に
「もう少しだからね」と応えた顔に
氷のような雨が叩きつけたことを思い出す
「私はなんでこんなつらい思いを子供に
させているんだろうか」と思いながら
子どもたちも頑張った・・・本当に
保育園の卒園式では長期保育の親たちが
前に呼ばれ並ばされた
「お母さんも苦労しました
しかしお子さんはもっと苦労をしたんです」
という園長の言葉に
強烈な罪悪感を感じたのは言うまでもない
いつか幸せになる
そんな大義名分のために
子どもが被った苦労を親が償えるには
人生の時間は短すぎる・・・
そう感じたのを覚えている
看護師の資格を取ってからも
こんな未熟のまま臨床に出てもいいのかと
さらに上に進んで学んだ
学士を取り、他のいくつかの資格も取った
それでも未熟さを感じて大学院に進学
しようとしたが、あることがあって断念した
そのことは今は全く後悔していない
むしろ子供に学費も出してあげられなかった
自分に人として情けなささえ感じている(笑)
何かを断念するときは
とかく誰かのせいにしたくもなるが
誰のせいでもない
自分で決めて進んできた道であることに
気がつかないと自分が辛くなる
こんなバカないきさつのある看護学校だが
看護学生が足りないという記事を見つけて
おバカな過去をふと思い出してしまった(笑)
なんとも恥ずかしく情けない人生である
私の人生は破廉恥で破天荒(笑)
さて、看護学生不足の話に戻る
そうだよなあ・・・
命とかかわる仕事なんて
誰も率先してしたいと思わないだろう
以下は冒頭の長野の記事についていた
コメントである
”看護師に限らず、介護士、保育士、消防士
自衛官、警察官等は給料が労働に見合って
いなければ、優しさや責任感を強烈に搾取
される職業になりやすい。
企業に勤めるほうがずっと割がいい世の中
になってきたのだから、志願者が減るのは当然。
大災害や第2のコロナ禍はいつおこるか
わからない。
手遅れにならないうちに給与を上げるべき”
アジサイは土壌によって
花の色が変わる





