心の支えを失って彷徨っている
2025年6月1日 日曜日
☆5月31日午後5時37分
釧路沖で M6.1の地震
リアルタイムで観た人も
リバイバルで観た人も
若い頃に観た人も
人生を積み重ねた中継地で観た人も
映画と音楽は鮮明に人の心に刻まれる
ときに自分の人生と重ね合わせ
その時に自分の傍らにいた人を
ふと、思い出す
目を閉じればその時の光景が浮かび
その時の香りさえ蘇る
波乱を生きてきた人の思いには
IFが付きまとう
もしあの時ああでなかったなら・・・
そんな思いは
枯れかけていた自分の人生の
思い出という名のパンドラの箱から
引き出してくれる
その箱にしまっておかなければ
生き抜けなかった辛い思い出さえ
年月という錬金術師の仕業で
遠い過去の思い出に変わっているのを感じる
人生は・・・
「いとおかし」
最近気になることに
生きてる人の「心の支え」や「指標」に
なるものが形骸化しているように感じる
目標がない、ともいえるのかな?
お金がなくても幸せだと言える人が
どれだけいるのかなあって思う
かつてのブータンはそうだった
でも近代文化や資本が流入してからは
変わってしまったと聞いている
お金で買えないものは
命(寿命)と健康(無病)と愛(無償の愛)
それ以外は大概はお金で買える
つまりお金である程度の幸せは買える
日本でおカネがないのに
「幸せです」という人は
負け惜しみにしか思えないことさえある
もんちっちの高校のときの同期生で
同じ高校の先輩と結婚した子がいた
今も故郷でその夫と暮らしている
若い頃、彼女の夫は就職先を転々としていた
時期があったが
彼女は一度も自ら働くことはなかった
なぜ働いて稼がないのかと聞いたら
「夫を信じているから」と言っていた
彼女は結局、結婚後は地方公務員の職を捨て
家庭に入って、夫の収入のみで
二人の子どもを進学させ、独立させた
今は静かに夫と公営住宅で暮らしている
この年になっても彼女の口から
「苦労した」という言葉を聞いたことがない
結婚してからのやりくりも
大変だっただろうに
彼女は一貫して専業主婦を貫いた
そしていつも言っていた
「私は幸せだ」と
ずいぶん前に聞いたことだが
彼女の夫の母は熱心なある宗教の信者であり
そのお母さんに惹かれて
今の夫と結婚を決めたと言っていた
彼女には宗教があった
信じるものがあった
どんなにお金がなくても
「何か」を信じていた
そしてそれが「幸せだ」という気持ちを
彼女にもたらしていたと知ることができる
日本には宗教がないと言われるが
今は「お金教」の信者がほとんどである(笑)
経済至上主義が摂理で、お金が本尊である
お金教の最高峰は限りがなく
どこまで到達すればお金教を極めることが
できるのかは不透明である(笑)
いや、おそらく無限なのかもしれない
それは人間の「欲」そのものだからだろう
宗教を信じる人の心の本質は
最高峰の到達点に達すること
つまり神の教えを守って生きること
そうすれば人は幸せだったと思えるのである
だったら中東やアラブのテロは何なんだ
そう思う人も少なくないだろう
宗教がテロや戦争を起こしているだろうにと
言う人がほとんどだろう
あの人たちはノマド的人生を送っているから
家のない遊牧民のようなもので
日本の神道や仏教の教えのように
本来の宗教からかけ離れた「宗教」のなかで
生きている
だから地にしっかりと足を付た宗教観はない
また宗教を持たない国ほど自殺が多い
世界中で宗教感が薄れていくなか
生きていくうえでの「指標」が
どんどん消えて行っているのではないかと
ふと、思った
もんちっちは宗教を持っていない
人生の途中で自分の生命に
危機を感じたときに教会に通い再び学び始めた
洗礼を受けカソリック信者になったが
60歳を前に宗教を捨てた
これまでも仏教などの教えも少しは
かじったこともあったが
結局宗教で自分の心が救われることはなかった
赦しを得ることも
罪を告白することも
人を許すこともできなかった
神はその存在を信じる人の心の中だけに息づいている
苦悩の末に悟った言葉はそれだけ
祈ればすべて解決する
そんなことは社会には存在しない
願って努力すれば人生は報われる
そんな保証もない
どんなに努力しても叶わぬ夢もある
何千年も前から哲学者や宗教家が
生きるとは何か、いかに生きるか
幸せになるにはどうしたらいいかを
延々と考えて来た
しかしすべての人を納得させる説法は
存在しない
自分で答えを出すのはとても難しい
そこに指標となる「宗教」があれば
生きていくのは少し楽になる
楽になれば幸せを感じる閾値は下がる
本来宗教は人間の魂を救うためにある
幸せを感じるために宗教は
本来の形を変え
自分たちの都合のいいように解釈され
暴走している
本来の宗教のように人の魂を救えるのは
今や本来の純粋な古典的な宗教の教えの中にしか
存在しないような気がしている
宗教がないから人類は「お金教」を作った
お金教が人類に何を教えるのか
お金がすべて
お金は万能
お金で人は幸せになれる
お金がなければ生きていけない
お金がその人の価値を決める
離脱して出家する人が
増えていくのかもしれないし
このままでは地球上のすべての人類が
崇拝するのかもしれないし
お金教の行方は誰にも分らない
「お金が(たくさん)なくても幸せ」
そう言った彼女の言葉が
頭の中でこだましている
お金・・・
たまに贅沢したいけど
少しのお金でも
幸せを感じて生きていきたいなあって
ふと思った
※2024年7月5日に記事を引用
※1分




