道程(童貞ではありません)(笑)
2025年6月23日 月曜日
☆トカラ列島で有感地震100回超え
(偶然昨年と全く同じ日に起きた)
また霧島連山・新燃岳で噴火
日本の南と北で中程度の地震も
続いている
☆アメリカがイランにミサイルを打った
核施設爆破が目的とのこと
戦争が嫌いなトランプがしそうなことだ
イランが報復しなければ大きなことにはなるまいが
月曜日の先物は大荒れになるのかもしれない
石油関連のみならず世の中は石油で回っているから
インフレが加速するのは避けられないのかな?
石破さん、よろしくお願いしますネ(笑)
さて、6年前に高校の還暦同期会が
北海道の田舎町で行われた
重い空気と冷ややかな視線で
自分が当時周囲から
どのように思われていたのかを感じた(笑)
最初で最後のつもりで同期生と会った
そんな中でも親しくしてくれていた人は
違和感なく「どうしようもなかった」私を
暖かく迎えてくれたことに感謝した
そんな中でも当時の記憶に残っていた
「廊下でよくすれ違う」不思議な他級生
が何人かいた
あきちゃんもその一人だった
同期生でも口もきいたことはなかったが
同級生のみきちゃんの幼馴染だった
その子が一人でポツンと一人で
ビールを飲んでいた
気になって声をかけた
「みきちゃんががんの末期で・・・」
ショックだった
ただただ衝撃が大きかった
みきちゃんとは特に親しかったわけではないが
都内の薬科大学を出て
大学の同級生の薬剤師と結婚して
彼の実家の薬局に嫁いで
山下公園のそばに住んでいたのは知っていた
毎年定期便のように年賀状だけの交流だった
自分がなんて薄情な人間かを恥じた
自分のことで精一杯の人生
言い訳だらけの嘘っぱち人生
人のことなど心配もせず生きていた
そんな自分を恥じた
神奈川に戻って1か月後
北海道のあきちゃんから連絡が来た
「みきちゃんがいよいよ厳しい状態で
今度会うのが最後になると思うけど
一緒に会いに行く?」とのことで
待ち合わせをして横浜の病院に行った
高校卒業して以来
みきちゃん会うのは42年ぶり
面影は変わっていない
やせ細ってはいるが気丈なのも変わらない
「これでよかったんだよね」という
彼女の一言が
とても重かった
私は彼女にかける言葉がなかった
あきちゃんはいつもと変わらない言葉で
みきちゃんと接していた
あえて「何も変わらない」雰囲気を
二人の友情が作っていることを感じた
病室を後にして、あきちゃんから
これまでのみきちゃんのいきさつを聞いた
何一つ不自由なく暮らしているのだろうと
思っていた
毎年来る年賀状には子どもの成長の写真が
印刷されていて
それが幸せの証だと思っていた
そんなみきちゃんの苦労話を聞いて
40年という人生の長さを知った
「苦しかったのは自分だけじゃなかった」
そんな思いだけが空しく残った
不幸でみじめで貧乏な自分の40年の間に
みきちゃんに会う心の余裕はなかった
そう自分に言い訳して
みきちゃんと会わなかったことを
自分の心の中で相殺していた心の小ささを
後悔した
特別仲がよかったわけではないが
こんなに近くに住んでいながら
もっと気軽に会っておけばよかったと
自分の不甲斐なさを恥じた
ちょうどあの日も蒸し暑い
かんかん照りの夏の日だった
あるブロガーさんの記事で
あの日のことをすっかり思い出した
定年退職して以来
すべての人に迷惑をかけないようにと
全ての交友関係を断って来たこの2年
これでよかったのかと思うことがある
ほんのわずかの人たちでも
バカな私のことを「友人」と呼んで
くれる人はいた
大切に思ってくれる人たちがいた
このまま心を閉ざしていいのだろうか
どうしているのかなと心は廻るが
私自身が孤独を貫くことが
自分への戒めだと信じて生きた気持ちが
少し揺らいだ(笑)
あきちゃんはあの日再会した
同級生のあこがれの彼と話ができて
彼もあきちゃんのことが好きだったと
話していた(笑)
その後ニューヨーク暮らしの彼を2回訪問したと
先日あきちゃんが話していた
あきちゃんは今もジャズを歌っている
ド田舎の廃校になった高校の同期生の
40年は輝いて見えた
本当に会いたかった友人とは会えなかったが
さんざん迷惑をかけてしまったたケイは
グアムで公認会計士をしていると聞いた
やはり迷惑をかけたナオは
ミュージシャンとしてロンドンにいると聞いた
うだつが上がらない
どうしようもない人生を送って来たのは
何も努力をしなかった自分だけだと
今更のように感じている(笑)
これが私の人生
そして私が歩いてきた道
そして道程
どーてぇことないか(笑)
※2024年9月24日の記事を再掲

