母の日に
2015年5月9日
※過去記事より
長女からお花が届いた
お花を送ってもらえるような
いいお母さんではなかったのに(笑)
もんちっちには夢があった
一緒に料理を作ったり
一緒に旅行に行ったり
子どもたちと したいことが
たくさんあった
それも事情があって
なにひとつ実現できないまま
子どもたちは旅立って行った
もんちっちは
産んでくれたお母さんを知らないし
6歳まで育ててくれたお母さんとの
記憶も ほとんどない
だから あったかな家庭がほしかった
でも 温かい家庭がどんなものなのか
知らないから
自分にはできなかったんだね、きっと
知らないものを作るのは至難の業
でもこうして毎年
お花や贈り物を送ってくれる
子どもたちに感謝している
何もしてあげられなかった
名前だけのような母親を
忘れずにいてくれることを
心から感謝している
障害を持ちながらも
一人暮らしで頑張っている次女も
紆余曲折ありながらも
自分の道を歩んでいる息子も
みんな、生まれてきてくれて
ありがとうね
あなたたちがいたから
生きて来れたんだろうと思う
いつかどこかへ
みんなで旅にでも行きたいね
みんなが幸せでいてくれることが
ダメ母の唯一の願いです
※いろいろありながらも
みんな自分の道を歩んでいる
子どものためのレールは敷いて来なかった
そのことを半分後悔はしたが
結局は自分の道を自分で選んで
三者三様に生きている
それでいい
しくじり人生のもんちっちには
誰かにこうしたらいいよなんて言えない
もんちっちの失敗を観て
「ああしたらこうなる」を反面教師として
学んでくれればいいと思っている
人にされて嫌なことはしない
嘘はつかない
「ありがとう、ごめんなさい
お願いします」という気持ちを
忘れない
そんな些細なことしか教えなかった
お金がなくて塾にも行かせられず
高校の資金から奨学金を借りさせた
奨学金は全員完済したと言っていた
こんなバカな人間からも
誠実な子は育つ
真ん中の子はひん曲がって大きくなった分
まるで天罰を受けたかのような人生に
なてしまったが
矯正する機会も与えられずに
天罰を受けた
そして今も苦しみのなか
精いっぱい生きている
彼女へのバツだったのか
もんちっち自身へのバツだったのか
わからないが
本人以上にもんちっちが苦しんだ
時間は長かった
どんなに守ってあげたくても
どんなに強く抱きしめても
抱きとめる腕をするりとすり抜けていく
次女はそんな子だった
早く幸せをつかもうと無理した結果が
彼女の人生だったのかとも思う
これからはゆっくりと
周囲の人たちに助けてもらいながら
自分の人生を歩んでほしいと思っている
親としてたった一つの思い
三人、仲良く生きてほしい
それだけ
2024年5月追記
批判ばかり受けて育った子は
非難ばかりします
敵意に満ちたなかで育った子は
誰とでも戦います
ひやかしを受けて育った子は
はにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子は
いつも悪いことをしているような
気持ちになります
心が寛大な人のなかで育った子は
がまん強くなります
子どもたちはこうして生き方を学びます
励ましを受けて育った子は
自信を持ちます
ほめられるなかで育った子は
いつも感謝することを知ります
公明正大ななかで育った子は
正義心を持ちます
思いやりのあるなかで育った子は
信仰心を持ちます
人に認めてもらえるなかで育った子は
自分を大事にします
仲間の愛のなかで育った子は
世界に愛をみつけます
CHILDRENLEARN WHAT THEY LIVE
ドロシー・ロー・ノルト 1954年
ママに捧げる詩 / Mother of Mine [日本語訳・英詞付き] ニール・リード
1972年
母の日になると
この曲を聞いては泣いていた
母親のいない自分がみじめだったのか
自分を捨てて行った二人の母親を
恨めしく思っていたのか
でももうそんな気持ちは消えた
産んですぐに手放さなければいけなかった
母親の理由も
6歳の私を置いて家出しなければ
いけなかった理由も
今は十分に理解できるから
もう、恨んでもいないから
きっと母親ってこんな人なのだろうと
そう思って聞いていたことは
確かかもしれない
母がいる人、いない人
生きている人、亡くなった人
好きな人、嫌いな人
感謝している人、恨んでいる人
全ての人に捧ぐ♡