もんちっちの断捨離

もんちっち

2025年8月4日



2023年7月31日

※過去記事の一部を引用




断捨離


前回の引っ越しの時に大きな家具など
ほとんどを捨てた(気がする)
今回の引っ越しで、ワンルームも
覚悟していたので
さらにほとんどを捨てた(つもり)


今、家にあるのは

毎日の生活に必要な最低限度の物だけ(笑)


ブランドの物は引っ越し前に

メルカリで処分した
退職後は世間から徐々に
フェイドアウトしたので
喪服も捨ててしまった(笑)
もう誰のお葬式に行くこともない


私の父親が亡くなったときに 
子どもたちと遺品整理をしたとき
苦いアルバムや、集めていた絵画など
どうしようかと困ったのを覚えていた


先日やっと、自分の小学校の頃からの
文集を半世紀以上経って、捨てた(笑)
残したのは学校のアルバムだけ


ネガで残っていた子どもの写真も

ネガスキャナーでデジタル化し
メモリスティックに収容した
自分の写真はあと100枚程度の紙写真

これも別のスキャナーでUSB化した


CDもDVDもUSBスティックも

いずれは使えなくなる

写真などは本当に残したいなら

データセンターに預けるしかないが

誰も欲しがらないであろうデータに

膨大な電力消費の一端に加担する気はない(笑)



 東尋坊    出典:photo hito




きっと処分するとき 
子どもたちが困るだろうと思って
本や衣類もほとんどを捨てた
CDやDVDも数百枚あったが、数枚だけ残した


娘の初バイトでもらった給料で

買ってもらったCDや

息子が母の日にくれたCD

次女が作った「針刺し」などは

捨てられなかった(笑)



今回、ブログも見直してみた
子どもに自分の気持ちを残すため
使いやすい新たなサイトに引っ越しした

(ムラゴンさんに)(笑)


以前のサイトの過去の記事の多くを消去した
いまだに書き方も書く内容も幼稚ではあるが

いつか子どもたちが笑って読んでくれる

日が来ること願って(笑)




 雲海に浮かぶ越前大野城  image by:Shutterstock.com




多くを持つともっと欲しくなるが

装飾がなにもないとすっきりする
豪華な家具も、高価な家電もいらない





写真



私には自分の写真がほとんどない

子どもの頃の写真は母親が持ち出して

最後に面倒をみていた叔母の手で

処分されていた

若いころの写真はアメリカに置きっぱなしで

和解することのなかった夫の手で捨てられた


それからはどこに行っても旅の写真を

撮ることもせず

断り切れない集合写真の中にだけ入っていた


写真で自分の「影」を残すことが

人生でいかに無意味で空しいことかと

感じていた


今は醜い自分の姿を残すのが嫌で

写真を撮ることはほとんどない(笑)



人間の記憶ほどいい加減な「写真」はないが

自分の気分に応じて変化する写真(記憶)は

老化する身にとっては快い(笑)

だからもんちっちの写真は

自分の記憶のなかにだけ存在している



どんなに捨てがたいものを

たくさん持っていようと

いずれは誰かに捨てられる

あるいは劣化してゴミになる



断捨離なんてしなくても

残った人がちゃんとやってくれる(笑)

だから断捨離は単に物を捨てることではなく

「お片付け」をしながら

実は「心を整理する」作業なのだと思う



思い出を「物」に記憶している人も多い

だったら無理して

「生きている思い出」を

捨てる必要なんてない

物を捨てるだけの断捨離は

人生にとって必要のないできごとでもある



気に入ってるものは捨てる必要なんてない

必要なものはもちろん捨てることはない(笑)


断捨離・・・なんだかなぁ



恐竜博物館 出典:www.sozai.fuku-e.com



断捨離は世間からのフェイドアウトでもある

自分は貢献してきたと思っていた社会の中で

実は「いい迷惑だった」と気づいた自分のために

これ以上迷惑をかけないように

底深く眠る「貝になる」気持ちを

時間をかけて準備する時間でもある


IT企業のCEOが出家した気持ちが 
なんとなくわかるような気がする(笑)



何が大切かは十人十色


高価な物を買うことで 

自分の価値が上がるような錯覚があった
本当はただ淋しかっただけだと気づいた


何が本当に大切なのかわかるころ
もんちっちの断捨離と終活は終わる






※はなちゃんコーナー※


 「ん? 贈り物? はなちゃんの??」

2013年の食いしん坊のはな(笑)









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