「中庸」

もんちっち

2025年9月24日 木曜日




ドイツのAFDで6名が不審死をしている

https://youtu.be/Rde6HRAg1fY?si=ab2kD33vQzZCDpod

移民廃止を訴える側とそれを阻止しようとする側が

分断し「暴力」に至っている



自民党の公開討論会でも無難なきれいごとで

台本通りに進んだ

数の上では圧倒的に小泉氏が強い

党員票で高市氏がどれだけ獲得できるのか

しかし決選投票になれば前回のように逆転が起こる

林氏にも十分な可能性が出てくる

誰がトップになっても自民党の体質が

変わらない限りは政治の流れは変わらない



もちろん国防も大事、米も大事かもしれないが

国民が、いま困っている「経済」や「移民問題」

ではないのかな?


みんなはどう思う?






ネットを見ていると中国批判しかなくて

中国人の一部ははいつまでも反日感情を煽る


日本にだっていいところも悪いところもある

それはお互い様じゃないのかな?


もう、ネット上で罵り合うのはやめない?

何にもいいことはないよ

日本人のネットの投稿を見て

そう感じるのは私だけだろうか?

https://youtu.be/dro7YXPn0tQ?si=29NRQ5E8YWTaIX9b







アメリカのように共和党と民主党が対立して

過激になるのもよくない

実際、対立は活動家の銃殺にまで至っている


分断して何もいいことは起きない

いや、分断そのものがテロリズムや戦争を産む

何も分断は今に始まったことではないが

最近はあまりにも度が過ぎる


トランプの急激な革命とも言えるような改革で

生活の基盤を失った人もたくさんいたはずである

末端で経済を支えてきた人にとっては

変化は脅威にもなる


折れた骨にギプスを巻くよりは

手術をして骨をつなげたほうが数倍治癒は早い

しかし体にメスを入れる痛みは避けて通れない







昨今の毒物は金正恩の兄の正男がどこかの空港で

殺されたときのように、肌に塗るだけで

人を殺せる「クリーム」もある(VX神経剤)


むろんコーヒーなどの飲み物に毒を混入すれば

ロシアの反政府運動家のように毒殺もできる

プーチンが金正恩との乾杯のワインに口を

付けず、金正恩も飲まなかったシーンもあった


日本ですら殺傷能力のない「銃」で総理が

殺されたり、公の場で酩酊をし

後日自宅で不審死した大臣すらいる

(その手のプロは跡形もなくドラム缶に

コンクリート詰めで東京湾に捨てるのだろうが)

政治に命をかけて殺されてしまう人が

最近は多いように感じるのは気のせいだろうか







人は「」に至ると

その先行きつくところがなくて爆発する

暴力が始まり、目的を達成するためだけに

ひたすら結果を目指して進むようになる



概念としての「中庸」というのがあるが

儒教の中心的な概念でもある


偏らず常に変わらないこと

過不足なく調和がとれていること

言い換えればちょどバランスよく人間関係が

保ていることとも解釈できる

単にどっちつかずということではなく

極端を避け穏当であることではないか


人はこのように生きていくことは

できないのだろうか







異常に加熱している世界の情勢のなかで

自国がどちらの方を向いて突っ走っているのか

見失い始めている国もあるように感じる


情報がブータンのような未開だった国にも流れ

牡丹餅より美味しいロールケーキがあることを

知ってしまった

人々は「もっと、もっと」を求め

今日より明日にいい暮らしができるようにと

ただそれだけを求めるようになる


世界中でそれが起きて

貧しき民が裕福な国に集まり始めた

そしてそのことが経済成長というプラスの面と

移民増加による弊害を招いた


世界はこれまでうまく中庸を保って動いてきた

力のバランスを保ちながら自国を守ってきた

しかしこのバランスが崩れてくると分断が起こる

行きつく先は、自由民主主義の崩壊である

多数決による民主主義が崩れてしまうことになる


その後に残るのは「全体主義」であるが

これが起これば西側の資本主義の国の多くは

人類が経験したことのない「社会」に突入する

社会学者にさえ想像もつかない

社会になるような気がする



リベラル・グローバリズムの崩壊が

どのような社会になっていくのかは

思った以上に早く明らかになるのかもしれない


そしてそのあとには人々が助け合って

生きている姿が広がっていてほしいと

心から思う


グローバリズムであろうが保守であろうが

目指すものは同じではないのか

「幸福」と「平和」であることに変わりはない


同じ場所にたどり着くまでの「道」が

左右に分かれているだけであって

真ん中を進む「道」があってもいいはずである



中庸という言葉の意味を

強く感じたここ数日のできごと・・・








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