懐かしい食卓

もんちっち

2026年10月23日



★中国西部で22時33分にM7の地震あり




今だけ金だけ自分だけ・・・

最近はよく聞くようになった


「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉は

東京大学大学院の鈴木宣弘教授が広めた

農業経済学や食糧安全保障を専門としている


2012年頃著書「食の戦争 米国の罠に落ちる日本」で

使われた

2014年以降、農業政策やTPPなどの議論のなか

社会を批判する表現として広まっていった


今だけ:将来に子とは考えずに目先の利益を優先する

金だけ:おカネや利益を優先する

自分だけ:他人や社会のことを考えずに

自分の利益だけを追求する


いつからか日本にも余裕がなくなり

こんな言葉が使われるようになった



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学校から帰ると羽釜には蒸かしたサツマイモ

夕方の帰り道には、どこかの家からのカレーの匂い

そしててんぷらを揚げた次の朝には

甘辛く煮て弁当のおかずになった

そんな時代があった



卵の値段は長い間、ほとんど変わらなかった

豆腐やお肉は2倍になっても、卵だけは上がらなかった


高かった卵も昭和30~40年代には

毎日の食卓やお弁当に登場するようになった

「巨人、大鵬、卵焼き」(笑)


卵焼きは甘いかしょっぱいかの二択

地方によって味が違っていた

みそ汁の中に卵を落としていた地方もあったようだ


卵焼きでない日は「目玉焼き」

おかずは他に、みそ汁と漬物と魚の干物








昭和30年代の半ばからは、パンと紅茶と目玉焼きの日が

週に1回くらいあった

モダンな家では朝はトーストと牛乳、そして

ベーコンエッグかハムエッグだった

トマトを輪切りにして塩、コショウしフライパンで焼き

粉チーズをかけた


日曜の朝だけは、大きな器に入れた納豆に

卵の黄身とネギを入れ、からしをたっぷり入れて

醤油を入れ、お父さんが混ぜてくれた

北海道では納豆に砂糖を入れて食べていた


そして目玉焼きにかけるのは醤油かソース

40年代のある家では、一つの皿に目玉焼きとハムと

千切りキャベツを盛りつけた

だからソースが多かった

そしてある家では、揚げ物にもウスターソースを

かけていた

平成になると、醤油が主流になった







お弁当も「日の丸弁当」と海苔弁当が主流だった

海苔弁当は鰹節をご飯の上に敷いて海苔を乗せる

昭和50年代にはこの海苔弁当が、ある弁当屋の

看板商品になった


お弁当箱はアルマイトで梅干の酸で穴が開くと言われ

梅干を弁当の隅っこに隠した

そして弁当の上に箸をのせ、新聞紙で包んだ

前の日の煮物が入っているときなどは

新聞紙がびしょびしょになっていた


学校では大きなヤカンが手渡しで回ってきて

弁当箱の蓋に白湯を注いだ







学校から帰ってくると蒸かしたイモがおつだった

たまに卵と砂糖を水で伸ばして小麦粉を入れ

玉子焼きのフライパンで焼いたお菓子が出た


また、よその家のおやつは蒸しパンだった

今で言えばダイフクのような白いお菓子

今の柏餅とは違って、山から採って来たサンキラの

葉で作ったものだった






学校からの帰り道

どこからともなくカレーの匂いがした

「うちだったらいいなぁ」なんて思いながら歩いた


戦前のカレーは小麦粉を炒めて、カレー粉を混ぜて作った

しかし「オリエンタル」が手間のかからない

調味料も入ったカレー粉を販売した

そして昭和30年代には板状のカレーもできた


あるお母さんのカレーはジャガイモやニンジンが大きく

とろみは小麦粉や片栗粉で付けていた

入っている肉は豚の三枚肉かこま切れ

両親共働きの家では、スーパーのお惣菜が多く

カレーはたまに作るものだった




https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/index.html




普段の夕飯のおかずには煮物があった

大根と油揚げの煮物は翌日の昼まで続いた

夜のおかずは翌日の弁当のおかずになった


普段は汁を多めにした「ごった煮」

野菜が足りないときは家で作った切り干し大根や

干した菜っ葉などを足した


味噌汁も菜っ葉中心で、豆腐や油揚げが入れば

上等だった

出汁を取った後の煮干しはネコのご飯になった




https://susono-bento.com/




てんぷらは、まだご馳走だった

油が手に入るようになった昭和30年ごろからだった


お歳暮やお中元にてんぷら油があった

重さから「カルピス」だと思っていたら

てんぷら油だったこともある


てんぷらの中身も家によって違っていた

サツマイモやシソの葉など季節の野菜だったり

玉ねぎとニンジンのかき揚げだったり


かき揚げは熱々のご飯お上にたっぷりの汁と

一緒に乗せて食べる

そして翌朝は昨夜残ったてんぷらを

甘辛く煮つける




https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8




朝に焼いた卵焼きは弁当箱に入り

おやつのイモはてんぷらにもなる


煮物は次の日の昼に回り

てんぷらは次の日の朝に甘く煮付けられる


梅干を隅に押し込み

羽釜の鍋の書置きには「イモヲタイタカラ、タベナサイ」

お母さんの書置きは決まってカタカナだった

その晩の煮込みで

次の日の昼を賄う


どれもお母さんが毎日の合間にかけた「手間」である



今も一人一人違っているのは

我が家の卵焼きの味と、カレーの具の大きさであろうか


そして一人一人の

「お母さんへの思い」なのではないだろうか



あちこちで七輪でサンマを焼く煙が

どこからか・・・漂って来そうだ(笑)







※この記事の引用文献・動画↓

https://youtu.be/INg3AdZOri8?si=YbKo6kdqxu_fnNGn

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