横文字、カタカナ言葉、略語
2023年12月29日 金曜日
時間の流れにも鈍感なもんちっちは
今日もすることがなくて
ボーっとしている
風邪っぽくなると体中痛くなる
これは以前からのこと
たぶん喉鼻に炎症があるということは
体の他の場所にも同じことが起こって
痛みを発しているからだろう
よく聞く「炎症」と言う言葉
もんちっちは、専門バカ
(専門分野以外の知識がない人)
この年でフリー人間?になったので
好き勝手に、知りたいことを
検索して学んでいるが
最近は肝心の頭のほうが
ついて来ない(笑)
孝行したいときに親はなし
みたいなもんか(笑)
もんちっちは世の中で
ふつーに流行っている
横文字、カタカナ言葉、略語に
ついていけない(笑)
英語かと思えば
和製組み合わせ英語だったり
日本人は日本語も短縮して使っているので
本来の意味が分からないものまである
知ったかぶって、得意げに使ってみたら
とんでもない
笑い話になることさえある(笑)
もんちっちの分野の専門用語は
英語の短縮形もあれば
未だにドイツ語もある
「ステルベン」はドイツ語で死亡
そのまま隠語として
今も医学界では使われている
業界用語は
その業界の人しかわからないこともあるし
医学界は特に病名の略語が多い(世界的に)
MIとかPTSDとか
MIは myocardial infarction 心筋梗塞
PTSDは Post-traumatic stress disorder
心的外傷後ストレス障害
カルテにもドイツ語で書く
医師はいなくなった
英語もしくは日本語で書かれている
それは医師の教育が変わって
国の指針が変わったことや
患者への情報開示が法律で義務付けられた
という背景もあるが
職業柄、のんびり記録していたのでは
救命ができないという
(患者は死んでしまう)(笑)
背景もある
この頃から医師ははっきりと本人や家族に
「余命宣告」をすることが慣例づけられた
(インフォームドコンセント)
もんちっちは未だに「個々対応」
がいいと思うが
それができるほど
医師の器量はないし時間もない
死生学が幼少期からの
教育の一環にないことが
受け止める側の心の準備として
備わっていないのに
「告知」は当時はまさに
「酷」なことに感じられた
おっとっとまた専門バカが出てしまった
話を横文字、カタカナ用語
略語の話題に戻そう
「ストレス、ボランティア、リサイクル
テーマ、サンプル等のカタカナ用語は
高齢者にも浸透しているが
医学用語もあるが
他はほとんどIT(情報技術)用語」
近世以降、外来語は
漢字語に翻訳されて定着してきた
しかし近年では
情報量の増大と流通の加速から
そのままカタカナ表記する
カタカナ語が使われるようになった
特に技術革新が著しいIT分野や
グローバル化(国際化)が当たり前の
ビジネス分野では
カタカナ語やABC略語が氾濫している」
※文化庁のカタカナ語の認知率・理解率
使用率の統計・白書より引用
知らないカタカナ語は辞典で
とりあえず意味を調べるけれど
乱用はしない
それが大人なのかと思ったりする(笑)
国立国語研究所が、「アクセス=接続」など
漢字語に言い換える提案を
してはいるが追いつかない
それどころか漢字の言葉さえ
カタカナで使われているらしい
正しく美しい日本語を
守り伝えていくのは
いつの時代も言葉にこだわりを持つ人や
年長者の役割である
しかし新語に寛容になることで
見えてくる世界もある
自分は使わないけれど、意味は知っている
それがカタカナ語に対する正しい態度かもしれない
もんちっちは昔、長女に
「過去には戻れないんだから立ち止まって
後悔するより、先だけを見て楽しいことを
見つければいい」と言われたことがある
先にもう時間のない人はそれでいい
また耐え難い辛さであれば
忘れるのもいい
もんちっちにはそれができない
過去の出来事を箪笥の前に立った時に
引き出して考えてしまう
たら、ればの世界である
執着ではない
後悔でもない
ただ、あの時どうしたらよかったのかと
「改善策」を考える
いわば「反省」なのかな?
これはもんちっちにとっては貴重な時間
「同じ過ちを繰り返さないための」作業
たとえそれが自分にとって
自責しなくてはいけない
辛いことであっても
前に進んでで生きていくために必要な作業である
もんちっちは愚かな子どもであった
そして最低の母親であった
その反省が
同じことを繰り返してはいけないという
もんちっちの生き方につながっている
連鎖はどこかで断ち切らなければいけないが
放ってしまえば終わることなく
永遠に続いていく
おバカなもんちっちの浅はかな妄想である(笑)
謙虚な人は美しい♡