生きにくい社会(再掲)
2024年10月18日 金曜日
★俳優の西田敏行さん逝去
お疲れさまでした・・・
「ちーぼー」も見送っているよ・・・
好きな俳優さんだった
福島の郡山出身で、ちょっと訛りがあるセリフが
何ともいえない温かさを感じた
今日は少し、淋しい
※再掲する
2023年11月23日 木曜日
勤労感謝の日
芸術家などに少なくない統合失調症
言われなければわからない人や
明らかな症状があらわれている人もいる
HGBTに関しては人口の5%と言われている
つまり100人に5人は、そのような脳を持つ
ゲイに関しては、公言しない場合や
両性との性交が可能なために
結婚して普通の生活をしている人も
少なくない
10人に2人は精神的な問題を
抱えていると言われる現代
みんなが生きやすくするためには
どうしたらいいのか
もんちっちがいた業界では
ADHDや人格障害の人がが少なくなく
(対人サービスの職場にもかかわらず)
業務に支障をきたしてしまうことも
多々あった
自分の気に入った洋服が
人から見て「ん~?」という
ことがあるように
自分が好きだからと言って
必ず「似合う」とは限らない
「社会」が絶対多数の原理で
動いているように
「世間」もまた多数決で
物事が決められることが多い
またそれがいいとか悪いとかではなく
仕事においては
「向き」「不向き」がある
不向きな職業を選んでしまえば
周りへの影響とともに
自分も大きな苦しみのなか
職業人生を終えることになる
これは双方にとって不利益ではないか
職業に限って言えば
自分の好きな
あるいは得意とするところを
生かせるほうがいいし
楽に楽しく職業を続けられるようにも
思えるが「人間関係」という難関を
避けては通れない
(イメージ)
ASDやADHDなどは病気ではなく
あくまで(脳の)「性格」である
臨床的なデータ(血液検査や画像診断など)
が出ない
だからその行動の特性の範囲内で
周囲が調整していかなければならない
脳は変わることはないので
完解や完治はない
親としては何とか自立してほしいと思い
自分の死後も、子どもが職業を持ち
社会で暮らせるようになってほしいと
心配するのは当然のことである
しかし本人の才能や興味を引き出すのは
容易なことではない
統合失調症もそうであるように
もんちっちのような凡人にはないような
多彩な才能の持ち主であることが少なくない
草間彌生やムンクは有名である
人類の10%は発達障害ともいわれている
それほど多く存在する
自分がそうであると気づかなく
生きてきた人がほとんどだろう
自分も周りもそれを理解しないから
職場の人間関係で
苦しみ悩み続け、生きにくくなる
チームワークが苦手な場合は
個人で事業をするという方法もあるし
人と関わらずに済む職業も無数にある
脳の機能的障害や特性について
知る人が増えて
社会の認識が変わってきたことは
いいことだと信じたい
正直言って相手の気持ちがわからない
相手の話が理解できないタイプには
相談業務は厳しいように思う
それでも自分が受けた心の痛みから
誰かを救ってあげたいと
医療介護福祉の相談業務に
入って来る人は後を絶たない
それほど彼らは心優しい人が多い
そこで周りも本人も苦しむ
(もんちっちのように)(笑)
そして自分に合ってない職業選択をして
人生を狂わせる人も少なくない
人が仕事を辞めてしまう理由は
多くの場合「人間関係」ではないだろうか
この根底には
そもそもの「誤解」がある
日本人は求心的に自我を作っていくが
西洋人は遠心的に自我を作っていく
日本人は周りがあって
自分の存在の意味を見出していくが
西洋人は自分が中心で
そこから社会を広げていく
だから日本人には
「我思うゆえに我あり」は理解できない
こういった根本的に違う物の考え方を
戦後教育のなか
急速に西洋式に変えられてしまった
古代から稲作で子育ても
集落全体でしていたものが
戦後は親離れして独立するという
西洋式に変わり、核家族になった
核家族は多くの「貧乏な若者」を産んだ
そして「孤独で寂しく死を迎える高齢者」を
作った
西洋文化や思想が世界の最高峰で
人間らしく生きる崇高なものである
というのは幻想である
現在の世界の状況を見ればよくわかる
西洋式の「自己責任」が
経済至上主義の中で
貧富の格差という分断を産んだ
西洋式の自我の形成が「自己中心主義」に
誤解釈され日本で広まっていった
そして西洋式の「独立」が核家族を産み
高齢者や若者が孤立した
この過渡期の現代には
ごちゃまぜの思想が交錯している
古来の日本思想の中で
「落ち着きのない変わった子」は
世間という集団の中で見守られて大きくなり
「変わった人」ながらも頑張り
困ったときは世間が助けた
現在はアルファベットの略語で呼ばれ
社会の異端児のように思われ
社会の中で傷ついて引きこもりになる
あるいは生きにくい社会の中で苦悩する
西洋思想の中の優しさと寛容さは
いただきながら
古来の独自の日本思想のいいところも
維持しながら
海外にすでに流出した100万人の日本人が
戻ってきたくなるような
国にしなくてはいけない
最近渋谷界隈で薬物依存症の若者が
急増しているらしい
そんなエネルギーがあるんなら
もっと他のことでで燃焼できないものか
他にも楽しいものはいっぱいあるはずだ
と思うが、若者の心の行き所のなさを
象徴しているようにも思う
人は誰かに愛されていることを感じたり
誰かに見守られていると感じると
悪いことができないものだ
日本古来の日本思想が
ここには全く活きていないと感じる
若者は混乱して自分さえ見失いつつある
社会には7人の敵がいるといるが
(何人の中の7人なのかよくわからない)(笑)
しかし職場には十人十色
千差万別の人がいる
仕事で「人間関係」が
うまくいかなくなったら
自分と周囲の「分析」をしてみる
AさんからZさんまで
全員をよく観察(言動や行動を)して
(わかれば成育環境や現在の家庭の事情まで)
相手とのかかわりの中で
客観的な情報を得る
すると見えなかったものが見えてくる
相手の嫌だと思っていた欠点は
自分そのものだったり
その逆に排他的に
受け入れがたいものだったりする
(生理的に受け入れがたい嫌悪)
しかし嫌いな相手に
共感するところはなかったか
同情するところはなかったか
ほとんどの場合は
相手を知れば極端に嫌うことは少なくなる
宗教的、霊的に考えれば
相手の欠点や嫌なところを攻撃できるほど
自分は優れていて、罪も侵さず生きて来たのかと
自問してみる
自分はこれまで
一度も人を非難したことがないほど
寛大な人間だったのか
胸に手を当てて考えてみる
見えてきたところで
嫌な相手も自分と同じ人間であり
誰かの子や親であることを感じ取る
嫌いな人をなくす
それは好きになるということではない
嫌いなのではなく「ふつう」になることだ
すると見下すのではなく
同じ土俵にこそ立てないが
一緒に「仕事」という目標を達成する
仲間であることが見えてくる
基本的な解決策は
相手のありのままを知って
理解しようという気持ちを持ちつつ(同情)
受け入れ(共感)、その存在を認め(許容)
許すことである
そして自分自身もそのことで救われる
いずれも「仕事」という人生の大役を終えて
(失って?)初めて知った結論である
きれいごとに聞こえるかもしれないが
理想やきれいごと?から始まらないと
自らの「向上」や「変容」は望めない
☆彡今日の一枚
暖かいが雲の多い空
今日も外で待っていました
ご飯を食べて
また15時半にもやって来て
ご飯を食べて行きました
来週は遠くの街まで行くから
スーパーでお魚買ってきてあげるネ♡
カーちゃん(カラス)も
見守っていました
画像の真ん中あたりにいます
2023年のはな
「おかあしゃん、風邪ひかないようにネ」
音がないと
すぐに思い出の中に引き戻されそうになる♡
※秋になって涼しくなると
夏の間に抑圧されていた緊張が解き放たれて
消えて行ったものへの哀愁が甦るようだ
これも脳がなせる業なのだろう
2024年10月17日追記
☆彡(笑)