最期にして最初の人類
2024年11月3日 日曜日
秋の気配を楽しんでいたら
あっという間の11月
一日は秒速で
一週間は寝て起きたら経っていて
一か月はご飯を食べて寝たら過ぎている
・・・んな、わけないか(笑)
しばらく前に見た映画が
ずっと胸につかえていて
どうしてなのか考えてみた
作曲家のヨハン・ヨハンソンの初監督映画で
若くして遺作となった作品
イギリス人作家スタニスワフ・レムのSF小説
を映画化した
時代は20億年後の未来から
戦争や自然破壊で滅亡が近づく人類に
テレパシーで?語りかける
撮影場所は旧ユーゴスラビアの巨大な
モニュメント
その壮大さもさながら
映画の中に流れる曲が
抑圧された悲惨な社会を想起させる
我々は
「どこからきて、何者で、どこへ行くのか」
これがテーマであろうか
ミクロで見ればたったひとりの命は
塵のようなもの
しかしマクロで考えれば
量子力学での仮設のように
魂は質量を持ち「意思」を
持ち続けるのかもしれない
小さな目でものごとを見るのではなく
大きな視野で大きく見渡せと
言われてているような気がした
しかも「声」ではなく
テレパシーで(笑)
映画のなかで時おり出てくる緑色の光は
何を象徴しているのか?
わかる方がいたら教えてほしい
https://i-storage.tenki.jp/large/storage/static-images
/suppl/article/image/2/29/294/29457/3/large.jpg
原作となった小説では
太陽にガス雲が衝突し海王星にしか住めなくなり
人類の胞子(10種類)?が生まれた
そこで生き延びた人類も海王星に住めなくなり
現在の地球の人類に助けを求めて来た
時空のゆがみなのか
そもそもなぜ地球に住めなくなったのか
そして遠い未来の生命体(地球人)は
形を変え存在し続け
「今」の地球人にSOSを発してきたのか
未来の選択
人類の存続
そして共存と理解・・・
人類が「戦争」を人類の過ちとして
認識しない限り、戦争は延々と続く
そして行きつくところは
行きつく先のない「終焉」であることを
この映画が物語っているようにも感じる
これほど心が詰まってしまった映画はない
いつまでも心の深淵を彷徨う
人類は資源を使い果たしたら
世界は全面戦争になるだろう
(イーロンマスクが言うように)
そんな世界の断末魔を
作者は言いたかったのだろうか
今さえよければいい
今だけ金だけ自分だけ(笑)
そんな今をいつの日か
人類は後悔する日が来るのだろうか
☆(笑)
こっからさんに捧ぐ
「ひまわりI girasoli」サウンド・トラック
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