思い出せない脳

12023年11月12日 土曜日





テレビを見ながら「ほらほら、あの人
・・・・・・名前何だっけなあ」
歴代の総理大臣の名前を聞かれて
「岸田、菅(スガ)、安倍・・・えーと」
ということ、ないだろうか


血流不足で脳細胞が死んでしまう


記憶力を担う神経細胞は
加齢とともに減っていくため
記憶力は年を取るとともに
次第に悪くなっていく


神経細胞が加齢で死ぬ主な原因は
血流不足
脳は全体の約2割の酸素を消費する


年を取って動脈硬化などで
血管の内側が狭くなると
血液が流れにくくなる
小さな脳梗塞は健康な40代で3割
60代になると7割の人に見られる
いったん死んでしまった神経細胞を
取り戻すことはできない
※「思い出せない脳」より一部抜粋





アルコールの大量飲酒


大量に飲酒する人には
脳が小さくなる脳萎縮がある


飲酒量と脳萎縮の程度には
正の相関が見られることが
報告されている
つまり飲酒量が増えるほど脳が萎縮する


飲酒による脳萎縮は
断酒することによって改善する
施設に入所している認知症の高齢者の
29%は大量飲酒が原因という
調査結果がある


過去に5年間以上のアルコール乱用
大量飲酒の経験のある高齢男性では
そのような経験のない男性と比べて
認知症の危険性が4.6倍
うつ病の危険性が3.7倍となる
このように大量の飲酒は、認知症の危険性を高める
※厚生労働省ホームページを参考







アルコールの「適量」


厚生労働省によると「節度ある適度な飲酒」は
純アルコールで1日20g程度
女性ではその半分程度


・ビール:中瓶1本(500mL)
・日本酒:1合(180mL)
・ワイン:2杯(240mL)
・焼酎(35度):半合(90mL)
・ウイスキー:ダブル1杯(60mL)


飲酒習慣の継続は確実に脳に悪影響を及ぼす
※厚生労働省ホームページより




☆今日の一枚



今朝はシロがチビを連れてやってきました
昨夜置いたご飯は空になっていたので
どちらかが食べたのかな?



そしてシロが来ると
この子も来る
なんだかずいぶん遠くに感じる



☆彡ペットロス日記


11月6日 月曜日


昨日は調子に乗ってビール2缶飲んだら
そのままソファーで寝てしまった
いつも通りの朝
今日は曇っている
昨夜雨が降ったのか地面が濡れている
ベランダのプランターに水をやろうと思ったら
2匹そろって来ていた
ごはんをたっぷり作ってやった
チビがちゃんと食べれるように
皿を二つにした
今日はテレビはいらない
Youtubeを聞きながらブログを見た
朝ごはんを食べ、昼も食べた
今日は床掃除をした
はなはいつもそばで静かに寝ていたので
今もいたとしても同じだろう
することを書き出して明日から出かけよう
16時カラスが鳴いている
今日は不吉さを感じない
なにか失うものを持っていると
喪失感も長引く
何もない私はたぶん回復も早いのかもしれない
世間とのかかわりは断捨離しても
社会とのかかわりは断ち切らない
このまま順調にない日が過ぎていけばいいい
たとえ何もない一日でも



11月7日 火曜日


猛烈な雨が今朝降った
昼前には雲が抜けて日が差してきた
シロがいたので固形のご飯を出した
チビが後から顔を出したが
同じ色の一回り大きな首輪をした猫を連れてきた
きょうだい?飼い猫だろう
シロはご飯を食べた後ももみじの木の下にいた
雨のシャワーで毛並みがきれいになっていた
朝、はなの骨壺に挨拶はしなかった
カラスが3羽、ベランダに来ていた
声が大きくてびっくりした
暖かいのも今日まで
暖かいことに感謝
明日から冬支度
こたつを出そうかなこたつもダイニングテーブルも
ほぼ新品なのにねじが行方不明の商品は価値がない
11月末には処分しよう
ねじがないなんて
私の頭のねじも緩んでいるのかもしれない
週末に次女のところにカラーボックスを運び
衣類の点検に行こうと思うが
長男に時間が欲しいとお願いした
忙しいのに申し訳ない
生きている限りはできるだけのことはしたい
今日は朝から窓も全開
風になったはなが自由に出入りしている



11月8日 水曜日


昨日ははなにしてあげられなかったことばかり
思い出していた
はなはもともと10歳ぐらいの命だったように思う
横浜の家にいたときは若かった
芝生の庭を走り回り
サンテラスで日向ぼっこをしていた
近隣都市に引っ越してからは
新築で過ごしやすかったのに
太陽が南側から当たらず
カーテン越しに太陽を探していた
出不精の私は遠くの公園にはなを
連れていくことはほとんどなかった
職場のストレスを解消するためだけに家があった
近くの広場へ時々出かけたが
手入れが悪く冬以外は草ぼうぼうで虫に刺されそうだった
それでも引っ越し前までは出かけていた
引っ越す前くらいから
時々便に血液が付着していた
消化管出血
はなが亡くなる瞬間に
膿尿と一緒に肛門から出血した
つまり消化管にも異常があった
横浜から引っ越して数年たってから
ぐったりして反応が鈍くなって
横浜の獣医に電話したら
急を要するから近くの獣医に行ってほしいと
獣医を紹介してくれた
十年以上診てくれた先生とはそこで縁が切れた
長男が前のアパートに来た時にだったか
よだれを流していたことがあった
脳梗塞だと思った
動かさずに様子をみて数時間で回復した
そんなことがここ数年で2回あった
脳梗塞の治療などいまの獣医はしないと確信していたから
様子を観るしかなかった
事なきを得て
はなは徐々に活動しなくなっていった
横浜の家にいたとき一度椎間板ヘルニアになったが
2週間の隔離で回復した
ゲージに入ったはなの顔は
なくなる数日前のはなの顔だった気がする
はなは何度か死にかかっている
そして何度も克服してきた
私ははなが15歳を迎える前に
心臓発作で亡くなると思っていた
心臓は全く異常がなかった
昔から乾いたドッグフードを好まず
たんぱく質の多いごはんを好んだ
マグロやサバをゆでてフレークにしたものを
加えてアレルゲンカットの物を与えていた
豚の骨も好きだった
人間でいえば飽食のメタボ
16.4キロだった
何がいけなかったのか
あれもこれもいけなかったように思う
今のアパートに越してからは
最初はバランスボールで遊んだりしていたが
後ろ足の筋力が落ちてプルプルするようになった
いや、もう少し前からかな
私は24時間はなと一緒にいたから
はなが寝る時間が長くなっていることや
散歩にも行きたがらないことも気づいていた
一年に2回生え変わる毛も
観たことのないような短い毛が生えてきていた
皮膚の毛嚢炎の治療に6月末に行ってから
薬を我慢して飲んでいたが
最後の数回は何に隠しても飲まなくなった
はなは自分の体に悪いものを拒否する
動物の本能だろう
獣医は週に2回シャンプーしろというが
1回がやっとだった
シャンプーの日には自分から浴室の前まで
自分で行くようになった
噛みつくこともなく
じっと我慢しているように見えた
そうかこのころからすでに腎臓は悪くなっていた
腎臓機能悪化から4か月
腎不全は予定通りに起きたわけだ
痛かっただろうな
だから寝て修復しようとしていた
そして私が傍で撫でていても
嫌がらなかった
9月に入ってからは外部の刺激にも
反応しなくなった
宅配のチャイムが鳴っても吠えない
それまではチャイムが鳴ると吠えて飛んで行った
私は否定していた
心のどこかではなが弱っていくのを理解しつつも
認めたくなかった
9月29日
ごはんをほとんど食べなくなって3日目に
病院に連れて行った
検査で腎不全だとわかった
この時点で
治療はすべきではなかった
ここで自然に任せていれば
はなは苦しまずに一回の発作で
ある意味自然死ができたわけだ
ここから私の冷静な判断が鈍っていく
獣医師は「治るかもしれない」ようなことを言った
その言葉が私を鈍らせた
点滴の中身は、水分数百ミリリットルの水と
吐き気止めとビタミン剤と抗生剤
腸に問題があるのに吸収されるわけがない
腎臓にどんどんたまり腎不全を増強させる
10月の半分を過ぎたところで
獣医から「厳しいかもしれない」というニュアンスの
言葉があった
「あと何日かはわからない」と
この時点で諦めていれば
はなをさらに2週間苦しめることはなかった
嫌がるはなにハーネスをつけ抱っこして
病院に連れて行き何時間もかかって
疲れさせる必要はなかった
なんでもいいから食べさせてと言われて
高たんぱくのステーなどあげないほうがよかった
腎臓食は一切食べなかったものね
はなは昔からなんでも食べたから
新しいものもたくさん用意したのに
ちゅーるごはんしか食べなかったね
ちゅーるごはんはお風呂に入った後にあげていたご褒美
それを2週間も毎日食べれたのは
幸せだったかな?
そのあとはまるで霞を食べているようだった
水だけ飲んで満足し
食べ物を一切拒否した
まなざしが日に日に遠くを見るようになり
すがすがしくなっていくようにも見えた
食べることから解放されたかのように
亡くなる3,4日前は
生と死の間をさまよっているのがわかった
眼は精気を失いくぼんでいった
呼吸も努力呼吸
お腹を膨らましてやっと呼吸していた
電気毛布を掛けて寝かせた日の翌朝
1回目の発作を起こし、休診だったから
翌日の点滴はやめた
あれでよかったんだよね
亡くなる一日前に見せてくれた
あれは奇跡だのかな?
一日中、夜中も私を見つめ
いきなり立って寝室を歩き回った
びっくりしたよ
何だったのかな
当日のことはあまり思い出したくない
自分の腕の中でみるみる固くなっていくあなたを
はなにさよならを言うのが辛かった
自分への戒めのために
ビデオを撮ってあったけど
半分も写ってなかったよ
私のせいではなが早死にしたのを認める
でもはなは寿命以上に長く生きてくれた
自分のためなのか私のためなのか
わからないが
「生きたいだけ生きて、死んでいった」
長生きすることが生きる目的ではないと
思ってる私が
はなに長生きを求めていたわけではない
やはりいつも思っていたように
生きたいだけ生きていいよと
思っていたはず
私も生きたいだけ生きて死んでいきたい
死の前一か月は介護期間だったけど
はながくれた幸せの期間を考えると
たったの一か月間はなんてことはない
もう誰の葬式に出ることもないと
喪服まで捨てたのだから
私は新しい命を迎えることはないだろう
新しい命を迎えて
責任を持って生きていくだけの器量はもうない
はなは小さなUSBに入って
時々私に思い出をくれる
シロとチビもご飯を食べに来てくれている
それで十分だ
父のように親戚や知人に迷惑をかけることもしない
できれば子どもにも自由でいてほしい
かけてもいい程度の親孝行分の迷惑を
見極めながら生きていくね
子どもには何も残さない
自力で生きていってほしいから
それでいいんだよね、はな
思い出すとまだ泣いてしまうのは
まだ不完全燃焼な証拠かな?
やり切った、これでよかったんだって思いたい反面
反省と後悔が残るのは
生きているという証拠なのかもしれないね
辛いことも悲しいことも
これから生きていくうえでの反動力
残りの人生、毎日のルーチンで生きていこう
はなが教えてくれた生き方



2023年11月9日 木曜日


昨日も遅くからビールを飲み始めたせいか
朝起きるのが遅かった
起きても何もすることがないから起きない
昨夜は何だか夢の中にはながいたような気がする
いつもと変わらない光景なら
記憶に夢の内容は残らない
印象的な衝撃的な
普段あり得ないこと、気になることが
夢の記憶に残る
朝起きて、今日ははなの骨壺におはようを言った
そしてベランダを開けると
チビとシロがいた
そうか、いつもなら朝のご飯を出していた
昨日の夜に出したごはんが少し残っていた
別の入れ物にご飯を入れて外に出したら
2人とも食べない
10時半になったらカーテンに黒い影が映った
サッシを開けたら大きなカラスが3羽
ベランダにおりてきていた
開けた瞬間に3羽とも散っていった
少したって見たらごはんが容器ごとなかった
カラスが持って行った
容器ごと
電柱にたむろして7羽くらいいただろうか
猫の餌まで持って行くんだって思った
しかも容器ごと
カラスは賢いんだ
これからは目をつけられたから時間を変えて
ごはんをあげないと
また持って行かれる
そんなこと考えながらブログを書いて
また今日も一日終わっていく
何のために生きているのかは考えない
生きているから生きていく



2023年11月10日 金曜日


朝8時に起きてベランダを開けた
シロが来ている
ごはんをあげて見上げると
カラスが3羽電線にとまっている
やたらうるさい
気づかなかったが携帯の写真を見たら
私の目の前を一羽のカラスが通り過ぎたようだ
シャッターが切れるわけがないし
記憶にもない
なんかビビった
地震が来る前と直後はカラスがいなくなっていた
午後1時半過ぎカラスは帰って来た
小雨が降ったりやんだりしている
今日は次女のカラーボックスの組み立てをする
できたら明日長男の車で運んでもらう
義娘と次女の衣類を片付けてくる予定
一昨日、掛け布団からほんの少し
はなのにおいがした
臭覚が戻って来た?
はなが死んでから
はなの匂いが全くしなかった
異常なくらい
何一つ残さず(私が捨てた)のだが
臭覚がなくなるとは思っていなかった
気配がないのにはまだ慣れない
意識が完全に外に向いていくのには
もう少し時間が必要かもしれない
今はシロとカラスが気配を感じさせくれている
いや自分がそうしているだけだと
わかってはいるが
死ぬことは無になること
その気持ちは今も変わらない



2023年11月11日


今朝ははなにおはようを言って起きた
6時から15分刻みに目が覚めて統計を見ていた
8時に起きてベランダを見たら
シロがいた
シロがご飯を少しのこして置いたらしく
かさかさと音がするのでベランダを見ると
シロが呼んだのか?カラスがいた
シロが残した餌を啄んでいたが
私に気づいて逃げて行った
カラスは1羽だった
しばらく電柱にとまって
こちらを見ていたが飛んで行った
午後から長男夫婦と次女の家に行った
息子に運んでもらう荷物のことで
息子の機嫌を損ねてしまったようで
終始気まずい雰囲気になってしまった
義娘が訳を話してくれたが
これからはどんなことも自分でしなくてはいけないと
肝に銘じた
今後は私一人ですべてのことをしていこう
できない時はできないと
子どもに迷惑はかけないように
生きていこう
何だか疲れた
気持ちが通じないのは一番つらい
肝に銘じて頼らないことを誓う
はなのことを話しても辛くない
もう大丈夫
そう感じた
義娘のおばさんが預かっていた
ワンコが先日亡くなって
葬儀社を紹介してもらった
その方からお香とろうそくのセットをいただいたが
私は一切の宗教的儀式をしない
だからせっかくいただいたのに無駄になってしまうが
仕方がない
宗教や慣習的儀式はしないという
私の信念は
宗教を持つ人の気持ちよりも
強いかもしれない



2023年11月12日


朝寝坊した
何もすることがない
昨日は考えることが多すぎた
今日ははなの気配を何も感じない
シロがいたのでご飯をあげた
しばらくしてカラスの声を聴いたが
ずいぶん遠いところにいてこちらを見ている
「一人でしっかり生きなさい」と
言われているような気がした
頼りにしたりすがったりあてにしたり
そんな生き方はしたくない
多くの親がそうしているように
子どもに迷惑をかけないように
ひとりでしっかり生きていこうと決めた
遠くで元気でいてくれればそれでいい
会わなくてもいい
はなは私にそのことを教えるために
死んでいったような気がしている
もうはなの気配はないが
私の心臓は今日も脈打っている




お酒、飲んでいいことはない♡

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