記憶を失うということ

2024年3月31日 日曜日



2019年12月27日
※過去記事より


記憶を失うということ


ガンは死なない病気になりつつある
医者も容赦なく告知するようになった


もんちっちが一番怖いのは
記憶を失うこと


ガンの始末は自分の意思でできるが
記憶をなくした始末は自分ではできない





自分の意思とはお構いなく
周りの人たちを悲しませる


家族にとっては
どんなに変わってしまっても
母は母 父は父


自分の身内が
記憶を失っていく姿を見ることは
胸が潰されるように痛む


記憶を失っていく本人が
本当は一番つらい


自分が自分でなくなる日が
多くの人にいつかは来る


80を過ぎれば気づかぬうちに
ほとんどすべての人に起こる


しかし数十年かけてゆっくり進行するから
スイッチが入るまでわからない




このフランスの村は、アルツハイマー病の人たちのためにつくられました



何百人もの人を観て
胸が痛むことも少なくなかった


自分がそうなったときのことを
考えることが多くなった


自分はどうしてもらいたいのか
真剣に考える


きっと、大きな不安の中で
自分は何者なのか、ここにいていいのか
小さい頃に迷子になったときのように
戸惑い、焦り、混乱するのだろう


優しく「どうしたの?」って聞いてほしい
「大丈夫だよ、一人ではないからね」って
言ってほしい
「おうちに帰ろうね」って、導いてほしい
「ここにいていいんだよ」って
微笑んでほしい


自分が自分でなくなっていく寂しさは
生きていくことの、最強の試練だと思う





どこかで 迷子の心を持った老人を見つけたら
ほんの少しの思いやりを分けてあげてほしい


どの人の心にも
平和で安らかな年末となりますように



※年に1,2回
自分の頭がおかしいのかと
思うことがある
頭を冷やして正常に戻るが
これが戻らなくなった時
もんちっちは異世界に足を
踏み入れるのだと思う
きっとがんの宣告をされるよりも
辛い人生になるのだと思う
自分が自分でなくなる日
できるだけ人生の最後の部分に
来てほしいと祈るだけ
2024年3月追記




”1989年のアメリカのロマンティックファンタジー映画
スティーヴン・スピルバーグ監督
リチャード・ドレイファス、ホリー・ハンター主演
オードリー・ヘプバーンが最後に出演した映画でもある”
※ウィキペディアより引用


山火事の消火活動で命を落としてしまった
森林火災救助隊の男が、恋人に愛を伝えるため
幽霊となって戻ってくる


過去を引きずって生きている彼女のために
過去の未練を断ち切って前へ進んで行けるように
天使が幽霊になった彼にアドバイスする





悲しいが、過去は戻らない
どんなに掛け替えのない人であろうが
ともに過ごした時間に関係なく
いつかは別れのときが来る


30年経って再び同じ映画を観て
感じることは薄れているが
この「薄れ」は自分の人生に重ねて
嘆きの閾値が上ったためだろう
どんな苦しみをも自分なりに乗り越えて
生きて来た証でもある


生きていれば
こんなことあった
あんなこともあったと思い起こす


なのになぜか
悲しみの感情にだけは
年を重ねるごとに敏感になる
ささいなニュースでも
その背後を考えると
可哀そうにと思わずにはいられない
人は悲しみの数だけ
優しくなれるということかもしれない


どんな別れであっても
過去にとらわれることなく
前を向いて歩いて行ってくれることを
そして幸せになることを
別れた相手も望んでいるはずである


そんな勇気をこの映画が
教えてくれた


Aiways
いつも、常に、いつでも
これからもずっと、いつまでも




煙が目にしみる / プラターズ
Miss Aに捧げる



人生は何度でもやり直しがきく
生きてさえいれば♡

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