もんちっちの幼少期

2024年1月16日 火曜日



シニアブログなので若い?20代、30代、40代は
少ないと思うが


20代の人は自分のおじいちゃん、おばあちゃんを
想像して
30代、40代は自分の親やおしゅうとさんを連想して
50代、60代の人は将来の自分を考えながら
もんちっちの記事を読んでくだされば
嬉しく思う


ネガティブ人間なので
失敗談が多いが、反面教師の参考書?
(そんなもんあるか)(笑)として、心のどこかで
「昔、あんなこと言ってた山姥がいたな」
などと、辛くなった時にでも
思い出してくれると、もっと嬉しい



何の変哲もない66歳のおばはんだが
自分の性格の特殊性もあってか
「生きにくい」人生を歩いてきた



生まれたときから破天荒で破廉恥な人生だった


今ほとんどの出来事は自業自得であると
自分の心の中で、全てが「許されて」いるが
反省や後悔が多い人生だったと自覚している





もんちっちは実の親を知らない
特別養子縁組で養女になったらしい
だから戸籍上は実子になっていた
父親と母親は従妹同士で子どもは作らなかった


父親の事業がもんちっちが6歳のとき倒産した


暴力と暴言が飛び交う毎日の貧困生活のなか
引っ越した借家で酒乱になった父親が
暴れて包丁を持ち出した
もんちっちは父親に体当たりして突き飛ばした
父親がミシンに頭をぶつけて失神したすきに
真冬の凍れる夜中に母親と裸足で逃げたのを
覚えている
足に霜柱が刺さって痛かったのを覚えている
そして父親が寝静まったのを待って家に戻った


その年に母親がいなくなった
だから母親の記憶はほとんどない
親同士が言い争っている景色しか
思い出にない





もんちっちは、産みの母親と育ての母親の
二人から「捨てられた」
そう思っていた


幸い近くに父方の祖母や叔母や叔父もいて
食べることに困ったことはなかった
行けば必ずご飯を食べさせてもらえた
しかしこの叔父や叔母にも
父親はきっと過大な迷惑をかけてきたのだろうと
大きくなって思った


父親は地元の公立の病院で定年まで働いた
その時もすでに結構な額の借金があり
退職金で返済したようなことを外部から聞いた


その父親のもとで
高校を卒業するまで暮らしていた
違和感を感じながらも行くところがなかった



生まれて6年の間に
もんちっちは自分の一生分の贅沢をした
父親の事業が順調だったころのこと
他の子よりはすべてが恵まれていた



小学校一年生の運動会の日に母親はいなくなった
お弁当やバナナを叔母が用意して持ってきた
母親は来なかった


しばらくたって母親が日中にタクシーで
自分の荷物を運びに来た
この時に、写真はすべて母親が持って行ったことを
後で知った
だからもんちっちには幼少期の写真が一枚もない


その時、母親が500円札を一枚
くしゃくしゃに丸めてもんちっちの手に
握らせた
「お母さん、行ってもいい?」と母親は聞いた
さんざん見てきた夫婦喧嘩を再び見るのは嫌だった


「いいよ」と、もんちっちは答えた
その一言で、もんちっちは「お母さん」と
永遠の別れになった
その一言が、生涯の「母なし子」にした


その出来事を仕事から帰った父親に話すと
殴られ、そして竹刀で叩かれた
それから6年間、中学に行くまでの間
たびたび父親の「暴力」は続いた


父親は虐待とも暴力とも思っていない
「しつけ」であり「教育」だと思っていた
でも子どもにとっては耐えがたい暴力だった





それからもんちっちは
「赤いお父さん」と「白いお父さん」の悪夢を
見るようになった
いわゆる「二重拘束」だった
赤い顔はお酒を飲んで人格がかわる父親
白い顔は世間体を気にして人当たりのいい父親
もんちっちは、次第に歪んでいった


※今だからわかること
もんちっちはアダルトチルドレンだった
アダルトチルドレンは、子ども時代の家庭環境や親の行動
例えばアルコール・薬物依存、心理的・物理的虐待
感情的ネグレクトなどに起因する心の傷を持つ大人を指す
過度な自己責任、自己否定、難しい人間関係、依存性
感情のコントロールの困難などの特徴を示す



何が正しいのか
どうしたらいいのか判断できないまま育った


家が倒産した後、小学校の1年生の半年間を
秋田県で過ごした
いわゆる夜逃げである
父方の実家へも行ったような気もするが
歓迎されずに、その後も親戚の交流はなかった
母方のきょうだいにはお世話になった記憶がある


お寺の一室を間借りし
囲炉裏の傍でご飯を食べた
アツアツのご飯にバターをのせて醤油をかけて
食べたのを覚えている
少し離れた母方のおばさんの家に行き
帰りには仕事帰りの父親が酔っ払ってバイクで
夜に迎えに来る
川のそばを走っていて、転げ落ちたこともあった


選択肢がなかった
目の前にいるのが唯一の「親」だった


夜逃げしてきて、ほとぼりが冷めたころ
北海道に戻った


小学校2年生のとき
もんちっちはこの頃から破廉恥がエスカレートした
遊べるのは近所の「悪ガキ」
言われるままに万引きをして野村先生から
クラスのみんなの前で「弾劾裁判」にかけられた
していいことと、悪いことの判断をこのとき
初めて知ったような気がした


民生委員さんや父親の職場の近くの農家の
おばちゃんが、家に招いてくれ
ごはんを食べさせてくれた
ここでも何か悪さをして父親が学校に
呼ばれていたような気がする


小学3年の時は、新米教師の石川先生からは
ビンタされた記憶がある
旧友の男の子と大喧嘩になり先生に
盾をついたから、叩かれた


小学校高学年になって勉強することの楽しさを知った
おじさん先生の菊池先生との出会いがあった
「褒められる」ことの嬉しさを知った
それから自分の興味あるものをあさるように学んだ
興味は「宇宙」と「医学」 理科が好きだった


母親がいなくなってから一日が異常に長かった
気がする
学校から帰って、陽が落ちるまで
行くところがなく浮浪児のように彷徨った





いてほしい時に親はいなかった


どうしたらいいのか聞きたいときに親はいなかった


小5で生理になった時、恥ずかしくて泣いた
たまたま父親にお腹を蹴られた日で
お腹から出血してこのまま死ぬのかと思って
翌日保健室に行った


父親の借金嗜好は変わらず、この頃になっても
しょっちゅう借金取りが家に来ていた
「今、いないっていいなさい」と言って隠れる父親
「いるのはわかっているんだよ」と借金取りの声
「嘘」をつくのが嫌だった
こんなことが晩年近くまで続いていたように思う


※今だからわかること
「父親」は依存症
借金依存症になっている人は借金を繰り返す
お金を借りることがやめられず、常に借金をしてしまう
借金への抵抗感がなく、親戚・友人・知人にまで
お金を借りまくり、結局疎遠になる
このためか、もんちっちには「親戚」がいない



小学校5年生の時に父親に再婚話があった
2歳年下の女の子の連れ子がいたが
もんちっちが執拗にいじめて破談になった


その後も父親の再婚話はいくつかあったが
父親は再婚することはなかった


小学校中学年からずっと考えていた
「私は本当に生きていてもいいのか」
「なぜ生まれてきてしまったのか」と


こんな思いがずっともんちっちを支配してきた


これがもんちっちが覚えている幼少期



こんな環境にいた人は少なくはなかった時代かも?
今ならすぐに児童相談所が介入するだろう


「父親」との葛藤はまだ序の口であるが
書き記すことさえためらっていた





こんな「父親」ではあるが
この「父親」もかわいそうな人ではないのかと
思ったこと


そして結果として、もんちっちが
ごはんが食べられないような
境遇に陥ったことはなかったこと


お酒に頼らなければ生きていけないほどの
「辛さ」の中で生きていたこと


性格のよくない親(祖母)やきょうだいしか
周りにいなかったこと
ホントに叔母は性格が悪かった
祖母は自分の子どもの家を転々としていた


そして最大の問題は、「借金」人生であったこと
この依存症になるほどもんちっちの存在は
手に余るものだったのかという申し訳なさがあった


してもらったことと「恨み」を天秤にかけたら
してもらった恩義のほうが重いこと


こんな人でも「親」
尊敬はしないが軽蔑はしたくない


幸い?この「父親」とは血縁がなく
その分、思いは「薄い」のかもしれない



子どもは親を選べない
同様に、親も子どもを選べない



もんちっちが破廉恥な破天荒人生を歩んでいく
序章である





☆彡続・ペットロス日記(裏日記)☆彡



1月9日 火曜日


昨日と何も変わらない一日
朝にはチビとシロが来てささみごはんを食べて行った
今日はチビの食欲がない
夕方なつかない方のクロがきてごはんを食べていた
部屋にはふんだんに太陽の光が入る
夕方には一気に冬に戻る
朝から「しゃけとば」をかじっている
どうしてか毎年この時期に固いものを食べて
毎年歯を折っていた時期がある
噛みすぎたか奥歯が痛い
ホントにおバカだ
震災は全貌が見えてきて
今は心のケアの充実が必要なのだろう
地元の人は少し離れたところに
仮設住宅を建てても入らない
自分の家のそばならいいのだろうが
水も電気もいつ来るかわからないところには住めない
外国人には理解できないことかもしれない
危険な場所であっても日本人はまた住もうとする
土着民族なんだろうなあと思う
気持は理解できないでもないが
一人で生きているわけではないことも
時として理解してほしいようにも思う
ホームステイならぬ災害時ホームステイ制度も
有効なのではないかと災害のたび思うが
これも日本では難しいのかもしれない
確かに個人は自由であるが
その自由の裏には責任がある
事故のたびに責任問題が浮上するが
日本は責任者個人を追求する「クセ」がある
事故は事故だから「不運」とは受け止めない
誰かのせいにしないと「ムシ」がおさまらない
流されることなく
次なる災害に備えなければいけない



シロ



1月10日 水曜日


郵便局から次女に時計を送った
不思議な時計はもう狂わないような気がする
全く根拠のない話だが
次女のおもちゃになるならそれでもいいかも
今日は歯医者に行って、床屋に行ったら
2時間半待ちというのであきらめた
2週間後再度行ってみよう
当分山姥のままだ



1月11日 木曜日


毎日は早く飛ぶように過ぎていくが
年始からはまだ11日しかたっていない
地震があったのがまるで夢のような感じがする
チビとシロは毎日来ているし
クロや痩せたほうのクロやシロクロが出入りしている
猫社会にも派閥がありそう
人間だけが理性を持っているのなら
派閥がくだらない幼稚なものであることに
気づくべきだ
AIはいずれ世界をまとめていくのだろうが
丸くなった社会は限りなく理性的で
感情のない氷のような社会になるんだろうな
機械に人間が使われるようなことはないが
理性だけで善悪を判断するようになったら
優生保護法もありきになるような気がする
カプセルで子どもを育て、お産の痛みもなくなる
学校はなくならないまでも
子どもたちが遊ぶ機会も形も変わっていく
それがいいのか悪いのかはわからないが
貧困がなくなることを実現しなければ
戦争はなくならない
人間はどこまでもエゴイストだ
大きな災害の中で姥捨て山を経験するよりは
身の丈の生活をしながら
静かに塵となりたい



1月12日 金曜日


もう金曜日だ
何をしてきたのだろうか、この一週間
昨日は氷のように寒かった
全く太陽が出ず一日中エアコンを付けていた
今日は太陽が当たって暖かい
加湿器がフル稼働しているので
かなり乾燥している
湿度24%の表示が出ている
こたつや電気毛布でさらに乾燥している
輪島の高齢者が「ここがいい」と言って
崩れそうな自宅に住み続けている
私も多分同じことをしたかもしれない
避難所生活は無理だと思う
どうせ死ぬなら自分の家で死にたいという
気持はわかる
命を大切にと言われても
大切にしたらそう言った人が救ってくれるわけでもない
医者が救命して、延命したからって
その先の余生を面倒見てくれるわけでもない
その人の人生はその人のものである
命が社会のものであるなら
最後まで社会が救うべきである
日本人とノルウェー人は似ていると言われるが
社会が人を守るという気持ちが似ているのだろうか



チビ


1月13日 土曜日


昼間は太陽が差していたのに
夕方急に寒くなって、雷と強風が吹いた
チビは一日中来なかったが、シロは2回来た
クロが朝から来て二人を邪魔している
大きいほうのクロネコのクロは最近来ない
カラスも上空を飛んでいる
あの地震の前日と同じ
フィリピンプレートが動きすぎているので
その下に引っかかっている場所は
地震噴火共に要注意だろう
ペットロスの記事を見ていて途中から
悲しくなった
まだ癒えてはいなかったと自覚した





1月14日 日曜日


今日は待てども待てどもチビは来なかった
シロがやっと夕方になって来たが
やたら周りを気にしていた
家に入ってきそうな勢いでの中をのぞいていた
黒い猫とシロクロがここ数日偉そうに態度がデカい
他の猫たちは皆、飼い猫のような気がする
大きいし毛艶もいい
シロはどう見ても野良猫
チビは半分飼われているような感じ
野良猫でも日本では生きていけるんだ
寿命は短いだろうけど、こうやって餌をくれる
人もいるから生きてこれたのかもしれない
捨て猫かもしれないけど
そうだとしたらとても悲しいこと
捨てる人を見たことがないから信じがたいけど
シロが捨て猫なら許しがたい
ここ数日気分が沈んで切るのはペットロスかな
音のない環境は心を沈ませる
ペットロスの記事を読んでここ数日泣いている
若い時は乗り越えられた
年を取ればとるほどかけがえのないものを
失う悲しみは大きくなる
喪失ばかりだからと思っていたが、違う
年を重ねることで生きていくことの
悲しみを知ってしまうからだ
年を取って得るものもある
それは、自由だ
孤独の中で寂しさはあるが
放っておいてもらえる自由がある
誰からも文句を言われず
誰からも指示されない
誰からも褒められず
誰からも何もされないという
自由がある



シロクロ



1月15日 月曜日


シロたちが来るようになって
チビが来なくなって3日目
なにかあったのかな?
どこかの誰かが飼ってくれたのだろうか
そうあってほしい
暖かい家と毎日もらえるごはんが
確保できていたらいい
どうして世の中に野良猫がいるのか
人間のせいなら心が痛い
シロは夕方近くになってやっと来た
いつもなら全部平らげるのに
今日はかなり残して周りを気にしてどこかへ
行ってしまった
シロが食べた跡を黒い痩せたほうのクロが食べて行った
陰からシロが食べていたのを見ていたのかもしれない
その猫も野良なら咎めることはできない
なんか猫社会もめんどくさい
日が暮れて夜になっていくのがたまらなく寂しい
一人暮らしの自由と引き換えに得た寂しさ
これは自分で行き先を決めた切符
誰にも文句は言えないし、耐えていくしかない
そして楽しむしかない



1月16日 火曜日


昨日のように朝は陽が差している
寒さを感じるのは気のせいか
床下から冷えてくるような冷たさを感じる
ここのアパートでの初めての冬
スーパーがない町
車がないと生きていけない町
花粉で散歩も遠のいた
もともと動くことに楽しさは感じない
小旅行も行く気が失せている
行く理由がないのではなく
ただ行く気がしない
人は誰かのために生きて初めて活きる
私は誰のためでもなく自分のためだけに生きている
だから活きれない




2009年のはな



「おかあしゃ~ん


 にゃんこもメンバーが変わるのかもしれないよ


 だからチビが来なくなっても心配しないで


 シロもメンバーチェンジで


 きっと他で、ごはん食べてるよ


 大丈夫だからね」




能登は未だ極寒のなか
暖を取れ
温かい食事ができることに
感謝しかない♡

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