ひとりひとりの閾値

猛暑が続きます。
今日は、土曜の牛の日?
昔は、土曜日に牛肉を食べるのだと
思っていました(バカだねえ)
やっぱり、もんちっちは
おバカなのだと思います(笑)
※2023年7月29日追記



2013年2月16日
※過去記事より


箱の中の出会いに感謝


地球上には何十億もの人がいる
そのなかでこの国に生まれこの国で育ち 
そしてこの国で生きている不思議


毎日向き合うこの小さな箱(パソコン)には
未知の世界と人が詰まっている
自分と同じように一人の人もいれば
夫や孫たちとの日々を楽しんでる人もいる


出会いはほんの一瞬の出来事
天文学的数値からの 偶然


自分の喜怒哀楽を誰かと共有したくて
自分の喜びを誰かに伝えたくて
自分の怒りへの共感を 
誰かに感じてもらいたくて
自分の哀れさを誰かに知ってもらいたくて
自分の楽しみを誰かに教えたくて
自分の気持ちを文字にして綴っている


心救われるのは出会いの中のやさしさ
自分の存在をありのまま受け止めてくれる
そんなやさしさ
今日もありがとうと 心の中で感謝する



※Without friends no one would choose to live, though
  he had all other goods. Aristotle(アリストテレス) 
友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。
たとえ、他のあらゆるものが手に入っても。





2014年3月16日


ひとりひとりの閾値(生き血ではありません)


一億人の人がいれば
そこには一億種類の閾値がある
自分にとってほんの些細なことであっても
ある人にとっては 
人生を左右するほどの出来事であったりする


自分にとって
この世の終わりに等しいほどの悲しみが
ある人にとっては笑ってやり過ごせる
小さなことだったりする


どそんなに考え方や気持ちが
近いと思っている人でさえも
ひとりとして閾値が同じ人はいない


けがをして感じる傷みも 
お産の時の陣痛も
感じる傷みの閾値は千差万別


明日のご飯も買えない人の貧しさは
飽食の人には想像もつかない


きっと私は
ABCが読めない人を鼻先で笑ったり
掛け算や割り算ができない人を嘲笑したり
そんな人間だったかもしれない


何が正しいかなんて 
時代で変わるもの
何が常識なのかも 
世論で変わるもの


自分の閾値だけで
自分以外の人の心を判断するのは
とても寂しい発想


見知らぬ人に対しても
臨機応変に変えることができる
そんな閾値を持っていたいと思う
(が、難しい)




澄んだ眼の底にある
深い憂いのわかる人間になろう
重い悲しみの見える眼を持とう


他人のものさし
自分のものさし
それぞれ寸法がちがうんだな


相田みつを



万物の尺度は人間にあり♡

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