もんちっちの貧乏な子育て

2012年3月10日
※過去記事より


貧乏な子育て


今日はもんちっちの
ちょっと風変わりな?子育てのお話
(かなり身勝手で母親失格)


もんんちっちは若かりし頃に
アメリカ人と結婚しました
でもうまくいかずに数年で離婚
おなかの中には女の子がいたまま
帰国しました


その女の子が3歳の時に
2番目のだんなさんと知り合い
結婚しました
そして2人の子どもが生まれました
しばらくは平凡な幸せが続きました


しかし
やっぱりうまくいきませんでした
もんちっちはきっとわがままで
ダメな人間だったのだと反省しました


二人の誠実な男性を傷つけ
彼らの家族をも悲しませ
なんてたいそうなことをしたのかと
10年間 反省の日々を送りました
その10年間で
これまでいいかげんで中途半端に
放り投げてきた人生を反省しました
そして
子どもたちには大変貧乏で
さびしい生活を
強いてしまうことになりました


子どもを大きくするには
食べさせなければなりません
それには
お金を稼がなくてはなりません


結婚する前に
途中で放り出してしまった学業を
今度はマイナスから
始めることになりました
病院で看護助手をしながら
わずかなお給料と奨学金で
学校に通いました
(奨学金は538万円を
10年かかって全額返済済み)


小さいころから
わけあって病院で育ったような環境で
(父が病院職員だったので)
医療が一番身近な仕事でした
(結婚前は不動産の営業とか
自動車の営業をしました
他にアルバイトは何でもしました)


自転車の前と後ろに子どもを乗せて
保育園と職場と学校と家との往復
そんな毎日が6年続きました


保健師の資格を得てもまだ足りなくて
(こんな勉強不足のまま就職しては
申し訳ないと思い)
通信で大学の学士を取りました


言うまでもなく貧乏でしたから
子どもたちの洋服は
知り合いの方たちがくれた
おさがりだったり
旅行になんて
連れて行ってあげることは
できませんでした


行ったのは多摩動物園とよみうりランド
そして横浜ドリームランドと
サンシャイン水族館など近場
一度だけ私の同級生のトモちゃんが
連れて行ってくれた箱根旅行
それでも子ども達
一度も文句を言わなかったんです
当然子どもを大学になど
入れてあげるお金などありません


もんちっちは中学までの義務教育までは
親の義務だと思っています
でも高校からは自分自身の意思で
進学すべきと思っています
だから高校へ行きたい子は
奨学金を自分で借りて
行ってもらいました
(途中で別の方向に行っちゃった
子もいますが)
※これは「お祭りカレー」のヒ素を発見した
中学生の両親の子育てから学びました


お姉ちゃんは大学をあきらめて
大学病院の看護学校へ
弟は自動車大学校へ行きました
お姉ちゃんはすごいパワーがあるので
社会福祉協会から借りた奨学金も
もう返し終わりました
弟もきっちりと奨学金を自分のお給料で
返しています


子どもたちはきっと
たくさん寂しくひもじい思いを
してきたのだと思います
でも文句も言わず
しっかりと自分の足で立って
自分の頭で考えて、今を生きています
社会人としてはもんちっち同様
まだまだ未熟者ですが
自分とは何か 生きるとは何か
そんなことを自分なりの答えを
模索しながら生きている子どもたちは
もんちっちの誇りです


貧乏でも歪まずに
まっすぐに生きてくれている
大事な大事な
もんちっちの宝物です


※2023年追記
デジタル化したネガや写真を見返して
どれだけの人に 迷惑をかけ
そしてお世話になったのかを感じています
本当に感謝の気持ちしかありません。
私一人で頑張ってきたのではなく
子どもたちも頑張った
そして何よりも
支えてくれた人がいたから生きてこれました
お礼も言えず静かに消えていく
わがままなもんちっちを
どうかお許しください。
本当にありがとうございました。
※遺書ではありません(笑)



多摩動物園にて


近くの公園で




子どもたち
本当にありがとう♡

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