リビングウィル

2011年12月29日
※過去記事


病気で生まれつき寝たきりの子は
自分の部屋の
小さな窓から見える世界がすべて
色盲で 色がわからない人は
真っ青な空も 
沈みゆく鮮やかな夕焼けの色を知らない


自分の足で地面を歩き
自分の手でさわりたいものに触れ
自分の耳でききたい音楽を聴いている
伝えたいことを言葉にして話し
おいしそうだと食べては
自分のおなかを満たしている


愛したい人がいて
守りたい人がいる


いたずらに
わがままなな時代を生きてきた
後悔もし
反省もし生きてきた


たくさんの人を傷つけてきた
たくさんの人に迷惑をかけてきた


そして今
私は自分が 
どれだけしあわせであるかを
感じている



2012年1月29日
※過去記事 mixiへの投稿から



リビング・ウィル


保健・医療・福祉の現場を渡り歩いてきた
医療の現場で観たことは
自分の価値観に
大きく影響していると思う


実際に父親の最後のの3か月を看取った
(とは言えない程度の介護だったが)が
医療側や介護側が求めるほど
家族は関わることはできない


しかし毎日患者を世話している
医療スタッフの立場からは
患者に同情することも少なくない
はたして当の本人はどうされることを
望んでいるのだろうか


自分の意思によらず胃に穴を開けられ
時間になれば 流動物を流し込まれる
時間がたてば
勝手に排泄することになる
おむつを当てられ
便が出ないと肛門を指でえぐられ
誰がそんなことを望むだろうか


病気で回復の見込みがあれば
我慢もできる
しかし不可逆性の加齢によるものは
回復の見込みはない


人間としての尊厳はどこにある?


私は毎年
自分の生前の意思(リビングウィル)を
見直す
今のところは数十年前と変わっていない
幸い長女が医療職に就いてくれたので 
理解してくれていると思っている


人工呼吸器の装着はいらない
胃瘻や腸瘻はいらない
認知症で判断がつかなくなったら
あとは子の判断に任せる
ただし
子どもたちの負担になるようなことは
してほしくない


年を取るのに比例して
命に対する執着が強くなる
つまり死ぬに死ねない状況になる
でも私は、自分が自分でなくなったとき
自分の存在の意義はなくなると思っている
賛否両論あるだろうが
私はそのように
今を生きている


どう死ぬかは
どう生きていくかということ
そしてどう生きるかは
どう死ぬかということ
そう思っている




フレンチブルドッグの「はな」といいます。
と7月16日で15歳になります。
時々登場します。よろしくお願いします!




おばあちゃんですが、ヨロシク♡

×

非ログインユーザーとして返信する