ペットロスとplan75
2023年10月20日
スピリチュアルな気持ちを持つ人が
自ら選んだと思っているペットは
逆にペットに選ばれてはいないだろうか
なぜなら前世でペットとあなたは
現世で一緒になることを約束されて
いたからだという
ペットショップで直感的に出会うことや
捨て犬の鳴き声に反応した人もいるだろう
実際はペットがあなたを選ぶ「縁」があった
ペットがなぜ人間を選ぶのか
それはペットとして生まれてきた魂が
必要な学びをするために人を選ぶ
つまり魂の学びのために
ペットは特定の人との関係を求める
それによりペットの魂は成長し進化する
ペットが飼い主を選んだ理由は
人間を学ぶため
動物は魂の成長を通じて
人間として生まれ変わることができる
つまり人間になりたいという魂が
人間の存在を学ぶために
この世に生まれた時にペットも虐待など
人間からひどい目にあうこともあるが
これらも魂にとっての学びでもある
人間の厳しさを目の当たりにすることも
魂の成長にとっては重要な学びとなる
魂はこれらの経験を通じて成長し
進化する過程においての必要な学びでもある
人間の社会には愛情や優しさのほかにも
自己中心的で愚かな人も存在する
そのような人からも
学ばなければならない
ペットと共有した時間は
些細な毎日の積み重ねだが
お互いにとっての最高の経験となる
笑ったり、泣いたり、遊んだり
喧嘩したりの日々が
お互いの魂の成長を促す
特別のことをする必要はなく
家族として過ごす日々が
お互いを成長させる
ペットとの別れは
学びの終わりを意味する
ペットとしての学びを終え
魂は次の段階に進む
別れは寂しいものであるが
最後までお互いの絆を深め
お互いの成長を祝福する
ペットが飼い主を選んだ理由の
もうひとつは
ペットが飼い主にとって
愛と癒しが必要だと感じたから
ペットは人間に無償の愛を提供する
ペットには人間の心から
愛と優しさを引き出す力がある
素直さや純粋さを取り戻し
ペットと交流することで
飼い主の心に光を取り戻そうとする
人間に愛や癒しを思い出させようとする
そして別れによって
お互いが次の扉を開いていく
ペットの無償の愛が
飼い主の心に調和とパワーをもたらす
ペット自身も魂の力の学びを持ち帰り
次の扉を開くときが来る
人間にとっては
ペットとの愛と癒しの力で
新しい人生を開くときが来る
ペットがあなたを選んだ理由は
あなたと一緒に愛と命について学ぶため
生命とは何か
生きるとはどういうことか
愛とはどのようなものか
そして愛を通じて
命の尊さやはかなさを
あなたと共に学びたかった
なぜ私だったのか
そんな思いにとらわれる必要はなく
ペットがただあなたと共に
学びたいという意思を持っていたからだと
信じていい
この世の学びを得て行く魂の先には
一切の苦しみはない
苦しさや空腹や体の痛みはない
寂しさや悲しみもない
優しさと穏やかさに包まれた次元に
魂は旅立っていった
まれに
ペットが魂の記憶の中で
一緒に暮らした家族を思い出す
飼い主も
会いたくなったり
一緒に遊びたくなることがある
背中を撫でてあげたかったりもする
しかしこの世の未練が
ペットの魂を
この世に引き留めてしまっては
苦しみや辛さから
開放してあげることができない
ペットが成仏できるように
飼い主ができることは
ペットの魂が寂しいと感じているとき
飼い主は手を振って
「また会おうね」と見送ること
飼い主が悲しみにとらわれていると
ペットも心配する
そしていつまでも虹の橋を渡れない
子どもを保育園に預けるときに
親が元気で「行ってきます」と手を振るのと
同じことである
後追いして泣く子に思いをとどめていたのでは
子どもは不安になってしまう
最後は
あの子があなたを選んで生まれてきたことを
理解すること
ペットと過ごした日々は
貴重な学びの機会だった
初めて感じる感情や価値観
出会いから別れまで
大切なペットが教えてくれたことは
飼い主がいちばんよく理解している
感謝や優しさそして愛
命についての学びを通じて
ペットとの関係はあなたの成長を支えた
ペットが飼い主を選び
互いが学び成長してきた
だからそのことに感謝し
前を向いて進んでいくことが大切
胸を張って笑顔で暮らしていけるように
それをペットの魂も望んでいるはずである
※you tube 4投稿を参考にしました
スピリチュアルなものに救われない人
もんちっちみたいな人は
自分自身のメンタルを
どうやって支えていけばいいのだろう
はなは
9月の初めに食欲が落ちて
寝る時間が長くなってきて
散歩も行きたがらず
活気がなくなっていた
年のせいだろうと感じて
自然に任せようと様子をみた
9月の終わりに丸二日
何も食べなくなって
病院に連れて行った
腎不全の診断で
その日から水曜以外の毎日
点滴に通っている
なんでもいいから食べさせてと
あらゆる肉や野菜や果物を
買ってきては食べさせてみたが
昨日二口食べたものも
今日は見向きもしなくなった
義娘が腎臓職も買ってきてくれたが
全く食べなかった
数口食べては下痢し
水を飲んでも血尿が出る
ここ一週間は
何も食べないことが
一番楽に見える
昨夜もちゅーるごはんを2本食べた後
一晩中何度も下痢をしていた
人間だったら
かなり苦しい
「もうなにもしないでくれ」と
感じるだろう
点滴には、吐き気止めと
下痢止めの抗生剤
そしてビタミン剤
リンゲル液300ml
体重はマックスから3キロ減ってはいるが
意識障害はない
「あきらめない」派の獣医師なので
はなは回復すると信じているのだろうか
立って歩くのもままならないのに
自分で布団からトイレまで行く
家の中に1か所だったトイレを
5か所に増やしてシートを敷いている
そこまで歩いて用を足している
私が思うのは
苦しくはないかということ
はなが苦しくなければ
いつまで生きてくれてもいい
ただ何も食べないはなを
観ているのは
正直辛い
たとえはなが明日命が尽きるとしても
はなは死ぬとき自分が死ぬと
思ってはいないこと
そして死ぬ瞬間も
自分の死を自覚しないだろうということ
生きたいだけ生きて
死んでいくだろうと
人の死を観てきてそう思う
2023年10月20日のはなちゃん
点滴した後は少し元気
20年近く前になるだろうか
自宅で妻を看取りたいという人がいた
あと一週間くらいと
在宅医は伝えていた
気休めのわずかな量の点滴と
後は家族が見守るだけ
おむつも家族が替えていた
自分の妻が枯れていく姿を
指をこまねいて観ているのに
耐えられなくなった夫は
私のところにやってきて
嗚咽していた
「どうにかなりそうだ」
「妻を苦しみから解放してほしい」と
彼の妻は、その後
ちょうど一週間で亡くなった
その一週間が彼にとっては
永遠に続いていく苦しみの時間のように
感じただろう
日本には安楽死法がない
現在、10カ国以上の国・地域で
自殺ほう助が認められている。
積極的安楽死が
合法化されているのはオランダ
ルクセンブルク、ベルギー、カナダ
コロンビア、スペインなど。
不治の病で
苦痛が本人の限界に達している
場合などに限って認められる。
しばらく前の映画で(2018年)
倍賞千恵子さんが主演の「plan 75」
というのがあった
※現在アマゾンプライムで公開中なので
機会があればぜひ観てほしい
「満75歳から生死の選択権を与える制度
『プラン75』が国会で可決・施行された」日本。
この制度に人生を左右される人々を
「対象者」と「施行する側」「その間に立つ人間」
で描いている。
高齢を理由に、ホテルの客室清掃の仕事を
解雇された角谷ミチ(倍賞千恵子)
プラン75の加入を検討し始めた彼女は
市役所のプラン75申請窓口で働くヒロム
(磯村勇斗)やコールセンタースタッフの
瑶子(河合優実)と出会っていく。
一方、フィリピンから単身出稼ぎにきた
介護職のマリア(ステファニー・アリアン)は
娘の手術費を捻出するべく
プラン75関連施設に転職する。
いろいろなことを考える映画であった。
自己責任論の強い日本の社会において
社会的に弱い立場にいる人々への
風当たりが強く
どんどん不寛容な社会になっている
というのがテーマであるが
もんちっちが注目したのは
75歳になったら
自分の死を「選べる」権利。
生まれてくるときは自分で選択できないが
死ぬ権利はあってもいいのではないかと
昔から思っていた。
人は生きている間に、一度や二度は
死にたいと思うものである。
そんな辛さは若い時に経験する。
しかしそれを、宗教観や世間が妨げる。
もんちっちのように宗教を持たない人は
特に精神性に弱い。
まして孤独の中で生きていれば
生きることの意味さえ失いかねない。
切腹しろと経済学者に言われなくても
痛みがないのならいつ死んでも構わない。
人間は自分が死なないと思っているから
生きていける
そして死の瞬間は自分ではわからない
悲しいのは周りだけのようである
考えてみれば、自分の親も
おじさんもおばさんも
いとこもはとこもみんな死んでいった
みんないずれは死ぬ
でもそのことを自覚してはいない
自覚したら生きてはいけない
いちばんいいのは
寿命が来るまで安らかに過ごせる
老後があることだ
それを許さない社会なら
いらないようにも思う
老いていくものや障がい者など
弱いものに寛容でない社会なら
いらないようにも感じる
貧しい人や困っている人に
手を差し伸べてあげない社会なら
いらないように思う
そんな社会に生きていたくはない
今がそんな社会だから
もんちっちは「plan75」を選ぶ
はなの死が近いことを感じる
今日のメンタルよくないなあ♡