もんちっちの誕生日


2014年1月8日


今日はもんちっちのお誕生日


職場では上司がケーキでお祝いしてくれました
そして帰宅すると玄関に大きなサボテンと
手紙が置いてありました(旧夫から)


新しい就職活動は失敗に終わりました
やっぱ、年齢なんだなあって感じて
ちょっと落ち込みましたが
今の職場にいなさいという天命だと信じて
あきらめることにしました


いつもうまくいくとは限らない
さあ、明日も元気で頑張ろう!



※10年前の日記です
 10年どころか、一年前の自分とは
 全く違う場所で違うことをしている
 それが時の流れがなす変化であり
 二度と同じことは起きないという
 運命の不思議なのだと感じる



いつからか誕生日は嬉しくない日になった


誕生日とは何だろう?


日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは
昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降
満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われている


「誕生日おめでとう」は、年を一つ重ねたからおめでたい
のではない
 「誕生日おめでとう」には、「あなたがいてくれてうれしい」
「あなたがこの世にうまれてくれてありがとう」という
意味が隠されている



2012年 ひとり誕生日用ひとりケーキ(笑) 自分で買った(笑)



日本で現在のような誕生日を祝う習慣ができたのは
早くても昭和25年(1950年)以降のことになる
 現在では誕生日に歳をとりお祝いをするが
法律で歳をとるのは誕生日の前の日
厳密には前日の午後12時になる


誕生日にケーキを食べる様になったの起源は
古代ギリシャに遡る
月の女神「アルテミス」の誕生日を祝うため
古代ギリシャ人は円形のハニーケーキを焼き
アルテミスの神殿の祭壇にお供えしていた
その際、月の光を表すためにケーキの上に細長い
ロウソクを立て、火を灯していた


誕生日を祝うのはそもそも欧米の文化で
イスラム教の国であるモロッコには
存在しない習慣である



誕生日になるとケーキが食べたくなるのは
不思議だが


考えてみると自分も子どもたちも
誕生日には必ずケーキを食べていた(笑)



習慣が身についてしまっているのだろう



2013年 孫が作ってくれた?ケーキ



さて、明後日は歯医者さん


近くにケーキ屋さんあるから寄ってみようかな?




何もしてあげられなかった子どもたちから


メッセージや送り物が届く


学費も自力で奨学金を借りて進学した


親とも言えないような存在に


やりくりが大変だろう貴重なお金で


送ってくれる送り物に


たとえようもない申し訳なさと


ありがたさを感じる


立派に生きてくれてありがとう


これからも元気で、幸せでいてほしい




三人仲良く、助け合って生きていってくれることを
祈っている♡



2022年のはな



「おかあしゃん、お誕生日おめでとう!


 いくつになったの?」





☆彡続・ペットロス日記(裏日記)☆彡



2024年1月1日


朝早くからyou tubeにはなの動画を投稿していた
一日1つ投稿すれば1か月で30投稿できる
非表示にしてあった動画も
獣医師学生とペットロスの人にも見てもらいたくて
投稿した
なんで死に際なんて投稿するんだという意見も批判も
起きることは当然の想定内
説明文を読んでもらえば、心ある人なら理解できる
興味本位で動画を観る人にはきっと伝わらないかもしれない
動画を一つ一つ見直していたら
また涙が止まらなくなってしまった
もう大丈夫だと自分では思っていたのに
どうしてなのか自分にもわからない
泣き疲れて落ち着いたところに
ゆらゆらとゆっくりと揺れ始めた
地震だ、と思い
ベランダのサッシを開けておいた
今日はチビは一切顔を見せず
シロが昼近くに来てご飯を食べて行った
そして地震のちょっと前にもやってきて
ごはんを食べて行った
カラスはかなり上空を速い速度で2羽飛んでいた
地震、石川と関東と同時に起きているのかと思った
11月の同時に2か所で起きた地震のように
夜の神奈川震度3の地震は全く揺れなかった
ここは変な地質なのかもしれない
あるいは震度計の異常か、誤報か
(誤報だった)
計測機器にも異常が生じているのかな?
一人も死者が出てほしくはないが2名が亡くなった
明日朝には被害が目に見えるようになる
輪島では火災
暖房?電気かもしれない
当分地震は続く
トカラで起こったように200回は起きるかもしれない
地面が揺れるだけなら怖くはない
あっさり死ねずに死を待つのは嫌だ
3・11を思い出す
何度も何度も揺れた
もいいよって思うほど警報や注意報が出ていた
頭が重くて耳鳴りがする
今日は早く寝よう



1月2日 火曜日


今日はシロが来てごはんを食べて行った
チビは来なかった
黒い猫が来たが、クロではない
クロはなつっこくてふっくらしているが
今日来たクロネコは逃げていく
でもシロが残して行ったご飯を食べて行った
昨夜外に置いておいたパンの耳とごはんは
なくなっていたので誰かが食べたか
それにしては一粒もなくキレイに食べ
容器がベランダから飛んでいたので
カラスのカー君が食べたのかな
今日も小鳥はいなくて声も聞こえない
カラスは全く来ない
不思議だ
NHKのアナウンサーがすべて早口になっている
気にしすぎかな
北海道も津波警報が出ていたが
友人は無事だった
厚真には連絡してないが胆振の地震のときも
私の取り越し苦労だった
大丈夫だと信じよう
地震学者も北海道と東北に目が行っていた
残念だが予想は不可能
羽田で悲しい事故があった
能登への輸送物資を積んだ海保の飛行機が
日航機とぶつかり炎上
日航機は丸焼けになったが乗客も乗員も冷静で
死者ゼロだった
これは日本の誇りなのかな
それにしても海保の乗組員は気の毒だった
5人死亡、機長が重症
原因は究明してほしいが事故は事故
すべて運命なのかと思うと心が痛い



1月3日 水曜日


二日間アドレナリンが出まくったせいか
頭が重いし体もだるい
今朝は大寝坊をしてベランダのカーテンを開けたら
シロとチビがにゃーにゃー二人で合唱していた
チビが大きな声を出して鳴いているのは珍しい
ささみごはんをあげた
お腹がすいていたのかバクバク食べていた
再びそろって昼にやって来たので
鮭のフレークとバターをあげた
猫用の食材はないなあ
人間用のもほとんどない
買い物にも行きたくないし
また当分は缶詰かな
食べ過ぎが続いて体がだるく
体重が4キロ増えた
今日から炭水化物を減らそう
おいしいものはカロリーが高いと決まっている
免疫も落ちてきそう
やっぱり誕生日前後は調子悪くなる
地震、飛行機事故で幕開け
凹んでいても仕方がない
起こるべくして起こった
何もできないことが辛い
明日は我が身かもしれない



1月4日 木曜日


朝はシロとチビがやって来た
結構大きな声で鳴いていた
最後のささみひとかけをごはんに混ぜてあげた
よほどお腹がすいていたのかがつがつ食べていた
午後から二匹でやって来たがごはんはシロが少し
食べただけでチビは来なかった
他でも餌をもらっているのかもしれない
時計は異常なく動いている
明日ドラッグストアで食料を調達しよう
お魚は手に入らないが野菜は少し手に入る
どこへ行っても1回に2万円近く買いこんでしまう
回数行かないので普通だろう
物が高くなった
そのうち毎日卵ご飯か茶漬けかうどんになりそうだ
偏食と不動がたたって体重が異常に増え最悪
ファイバーも値段が5倍値上がりしたので
手が出ない
別のものを買ってからお腹が張る
自分には合ってないのかもしれない
昨日とは体が違う
昨日までできたことが今日はできない
そんなことが少しずつ多くなってきた
そのうち自分が自分でなくなる日が来るのだろう
まずは明日は買い物に行かなければ



1月5日 金曜日


毎日同じ暮らしをしていると
一日が飛ぶように過ぎていく
朝からはなのビデオを整理した
たしかにここにいたんだと思いながらも
夢だったかのような不思議な感覚に陥る
地震も夢だったような
そろそろテレビの報道もおさまるのかな
このまま報道し続けると
気持が沈む人が出てくる
復興を祈りながらも
なぜ多くは高齢者なのかと思う
子どもは何を思ったのだろうか
核家族の悲劇がはっきり見えて来た
墓じまいがあるなら
家じまいがあってもいいはずだ
首都はいずれ壊滅する
国力があるうちに分散しようとはしないのか
指導力の弱さと国民の不理解が
国を亡ぼす
不安ばかりが募っていく
チビもシロも変わらずごはんに来ているが
この子たちは野ネズミや鳥を食べることもできる
きっと生き残れる
人間もやがて「野良」になるのだろうか



1月6日 土曜日


不安な気持ちが宵っ張りを助長する
今日も寝坊
チビが外で待っていたが
ごはんは食べずにシロクロが食べて行った
そのあとひっそりと
黒い痩せたほうのなつかない「クロ」が来て
シロクロが食べなかったご飯を食べていたが
窓を開けたら逃げて行った
猫社会は安泰なようだ
眠気が取れたらシャワーを浴びて
ドラッグストアに買い物に行こう
郵便局は10日の歯医者のときに行って
次女が欲しいと言っていた「不思議な時計」を
送る予定
(不思議な時計は12月21日、25日、26日、31日と
立て続けに狂った
少し怖かった
1月に入ってからは一度も狂っていない)
彼女が被災しても私は歩いていかなければいけない
半日はかかる
行ったとしてもトイレにさえ連れていけない
重くのしかかる
何もしてあげられないであろうことが
重くのしかかる



1月7日 日曜日


何もない一日
昨日の買い物は少し気分転換になった
知り合いと会わなかったのは救いだった
人と話すのもしんどい
シロとチビは相変わらず来ている
痩せたクロはチビの残したものを食べて行く
震災の報道の見過ぎかもしれない
明日は誕生日だが嬉しくもなんともない
なんでだろう
北海道の友人からビールが届いた
毎年送ってくれている
ビールの送りっこをもう何年もしている
年金だけなら自分が食べて行くことさえ難しい
長く生きれば送ってあげられなくなる日も
そう遠くない
年賀状は10通ほど転送されてきたが
返事は書かない
もう来年は来ないだろう
気圧が下がっているのか頭が痛い
明日は晴れるのだろうか



1月8日 月曜日


朝寝坊をして窓を開けてみたが
シロもチビもいない
何もない一日
さっきまで陽が当たって部屋は暖かくなったが
陽が傾いて急に寒くなって来た
眠気が取れずボーっとしている
長男夫婦が玄関先まで来て帰って行った
海産物とビールを差し入れしてすぐ帰って行った
次女からは誕生日のメッセージが送られてきた
長女はスヌーピーグッズ
みな無事で元気でいてくれたらそれでいい
それが一番の贈り物だと感じる
震災のニュースを見るたび心が痛む




わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る
おしなべて、事を成す人は
必ず時が来るのを待つ
松下幸之助♡

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