うん・どん・こん

2024年3月10日 土曜日


昨日の春雷が
春の到来を告げたのか


2014年9月23日
※過去記事より


万人に与えられた幸せと不幸の量は等しい


人間の一生に与えられた幸福と不幸の量は
すべての人に等しく分配されている
と言った人がいた


6歳で骨肉種で死んでいったAちゃんも
99歳で老衰で死んでいったBさんも
幸せの量は同じだったのかと、疑問だった


Aちゃんはいつも笑顔で
看護婦さんを癒していた
痛くて苦しかっただろうが
いつも笑顔だった


Bさんは戦争の時代を生きて
自分の子も戦争でなくしていた
最後は家族も疎遠になり
最後は白いベッドの上で
寂しく亡くなっていた


Aちゃんの人生は短かったけど
たくさんの人に愛され
たくさんの愛をもらっていただろう
Bさんは苦労して女手一つで
子どもを大学まで出したのに
出世している息子家族は
面会にすら来なかった





今、自分の人生を重ねてみて思うことがある
私は親を知らずに生まれてきたが
裕福な家に引き取られた
しかし7歳の時に
家が破産して貧乏になった
両親は離婚して、私は母親の愛も知らず
そして自分も「母」になれなかった
私の幸せは生まれて6年間で
使い切ってしまったのか


波のように何度も押し寄せてきた不幸の連続も
他の人の不幸の量と等しいのかもしれない


どの人にも
幸せと不幸の量は等しく与えられている
大金持ちがいつも幸福とは限らない
貧乏人がいつも不幸だとは限らない


苦しみや不幸のどん底に落ちたときは
これまでの自分の人生のなかの
幸せを懐古する


自分だけが不幸なのではない
どんな人にも公平に
幸せと不幸は同じだけ
与えられれているはずだから





※不幸なことがあると
当たり前のことが幸せだったと気づく
そして小さなことも幸せだと感じる
しかしまた不幸なことがある
このように繰り返されるのなら
不幸の後に来ていた幸せに
気づいてないのかもしれない


精神的に余裕があるかどうか
余裕がなければ幸運に鈍感になり
不幸に敏感になる
余裕があれば不幸に鈍感になり
幸運に敏感になる
(2023年9月21日追記)



************☆



うんどんこん(運・鈍・根)
(汚いものではない)(笑)


多幸な人と薄幸な人


私は完全な無神論者だが
運の存在だけは信じている
そして一生分として与えられる


の総量は
人それぞれ生まれながらに
決まっていると思っている
この世には多幸な人と薄幸な人がいる
もともと持っている幸運の量が
変えられないなら
大事なのはつまらないことに
運を使ってしまわないことだ


2つ目の感さもまた重要な要素
世間を見回せば、成功者には
鈍い人が多いことに気づく
彼らの長所は失敗しても
くよくよしたり落ち込んだりしない
敏感な人だと小さな失敗にも
大きく落ち込み
逆に少しばかり物事が
うまくいっただけで舞い上がる


そして
同じことを飽きもせずダラダラと
続けられる気質
実際、強いスポーツ選手には
そういう根性を持った人が多い
余計なことは考えず
過剰に気負うこともなく
やるべきことにただ黙々と取り組む
この愚直さが
最終的に大きな勝利をもたらす”
※成毛眞さんの寄稿より引用





※今日は朝から
さだまさしの無縁坂が
頭の中でカラカラ回っている(笑)


運の強さは自己肯定感
自分を好きになること
自分を大切にすること


鈍感なら人一倍ある(笑)
空気読めないし(笑)
空気読もうとして
時間を費やすのは疲労困憊する


根性か
これはないなあ
熱しやすく冷めやすい
すぐに飽きる(笑)


いいじゃない一人でも
気兼ねしなくていいから
無用なしがらみもなく
自分のまま生きていける


誰に迷惑かけているわけでもないし
いいんだよ
自分のままで


ときどき人恋しくなったら
娑婆に出てきて
人間ウォッチングするといい


どんなに楽しそうな人にも
どんなに悲しそうな人にも
平等に
太陽は降り注いでいるから(笑)



明日は明日の風が吹く♡

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