人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる
2024年2月9日 金曜日
暖かな一日
陽ざしがやわらかい
昨日、古い記事をお忍びで
投稿させていただいたが
やはり「公開」になってしまった
お目汚しになってしまったことを
お詫びしたい
あるブロガーさんに
こんな人はたくさんいる
と励まし?をいただいたこともあり
自分がヒロインなどとは一度も
思ったことはないとお伝えした
風化することはないが
私の人生に起こった出来事として
私がどのように生きてきたのかを
記録として残しておきたかっただけ
だからどうかお読みいただいた方が
お心を痛めたりすることが
ないように(*_*)
不幸せになろうと生きている人はいない
誰にも、誰の人生にも起こりうること
ただもんちっちが
生き方が不器用なために
たくさんの人に迷惑をかけ
たくさんの人を悲しませて生きてきた
自分の人生の失敗を
ありのまま子どもたちに
残したかった
社会にも忖度なく
発信する方法を取ったのは
誰かがこの記事を読んで
諦めや絶望から方向性を見失った心を
立て直す、反面教師にでもなれれば
意味もなかった私の人生も
報われるのではないかという
うぬぼれもあるかもしれない
生きる時間が長くなれば
楽しいことばかりではなく
むしろ
何もない平凡な日々が続き
時たま天変地異にも遭遇する
悲しいことは永遠に続かない
同様に楽しいことも永遠に続かない
生きざまはその人の人生の
喜怒哀楽を通じて
心と体に刻まれる
私のような人生はざらにある
もっと悲惨な人生を生きてきた人は
たくさんいる
辛すぎて耐えられず
この世を去って行った人も
同様にいる
でも生きてさえいれば
大概の人生は何とかなる
ここ数日自分のメンタルが落ちていたのは
次女が「死にたい」と言ってきたから
これまで何度となく聞いてきたが
年老いた私には「免疫」が低下して
受け流すことができなかったから
励ましの言葉も出なかった
何もできないのだから
何も助けてあげることができないから
私が死んだ後に
彼女は一人になる
毎日メールを送る相手もいなくなる
一緒に死ねばいいのかとも考えたが
このブログを彼女も見ているはずだから
もう一度、あの時に戻って
生きる勇気を持ってもらいたかった
ブログを載せた第一の理由は
そのことだった
あなたにはお腹を痛めて産んだ
可愛い子どもがいる
その子に会うのだけを楽しみに
生きていてもいいのではないかと
もう一度思い出してほしい
一度死んで生まれ変わったのだから
今度は救われたその命を
粗末にしてほしくはない
生きる
そしてあなたのすべてを
支えてくれている周りの人たちに
感謝して
しっかりと生きていってほしい
その一言を
娘に送りたい
**********☆
さて、本日の本題
人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる
出口治明
1948年三重県生まれ。京都大学を卒業後
日本生命保険相互会社に入社
企画部や財務企画部にて経営企画を担当
生命保険準備会社を設立し
ライフネット生命保険株式会社を開業
人間は一人で生まれ一人で死んでいく
人間は孤独なのが本来の姿であり
それは人間のみならず動物の本性である
一括採用、終身雇用、年功序列、定年という
高度経済成長期の人口増加を前提とした
ガラパゴス的なワンセットの労働慣行こそが
老後の孤独を招いている
このワンセットの仕組みのなかで多くの
日本人は、根拠なき精神論に鼓舞され
長時間労働に従事してきた
この仕組みのなかで働く人は、職場と自宅を
往復するだけの「飯・風呂・寝る」の生活に
陥らざるを得ない
長年にわたりそういう生活を強要されてきた人が
60歳になった途端「明日から来なくていいですよ」
と職場にいわれたら
何をしたらいいかわからなくなるのは当然である
これを「老後の孤独」と名付けているだけで
本当の問題は歪んだ労働慣行そのものにある
「飯・風呂・寝る」は「人・本・旅」の
対極にあるライフスタイル
「人・本・旅」の生活を続けていれば
趣味も職場以外の友人もたくさん見つける
チャンスがある
日本の労働慣行は
人間を全く大事にしていない
脳科学的に考えると
基本的に頭を使う人の労働は一回に集中できる
時間が2時間程度であり、2時間かける3コマか
4コマが一日の限界
そうするとせいぜい8時間しか働けないから
あとは早く帰宅して地域の人々といろいろな
触れ合いを楽しむのが世界では普通である
趣味のサークルに入ったり、ボランティアや
副業に従事したり
普段から職場以外の世界が広がっていれば
勤務先を退職しても
自由な時間を楽しむ友人がたくさんいるし
そもそも多くの国では定年制度がないから
ずっと働くこともできる
老後の孤独というテーマは問題設定自体が
間違っていて、日本の歪んだ労働慣行が
働く人を粗末に扱っている問題
働き方改革を行い、「人・本・旅」の
ライフスタイルを定着させることが
老後の孤独をなくすことにつながる
人は死んだら星のかけらに戻るだけ
恐れても仕方がない
確かに親しい友人や知人が亡くなると
寂しさや喪失感を感じる
しかし、それは若いときでも
年をとってからでも一緒で
恋人を失ったら喪失感を抱くのと同じこと
年齢を重ねるほど親しい人を喪う回数が増え
寂しさを感じる回数も増えるのは間違いない
しかしそれもよく考えてみれば
友人が高齢者の場合だけの話であって
「人・本・旅」の生活で年齢にかかわらず
友人を増やしていけば
それほど喪失感は感じない
動物は年を取れば年齢が上のほうから
だんだん死んでいく
そんなことは誰でも知っている
親や兄弟、パートナーや
親しい友人が亡くなって子心は病むが
死という事実に真摯に向き合えば
人間の死は自然現象として
受け入れるしかない
自分の死に対して恐怖を感じる人もいるが
確実な事実として人間は誰でもいずれは死ぬ
必ずやってくる未来に
思い悩んでも仕方がない
古来から哲学者たちが
「人間はどこから来て、どこへ行くのだろう」
と考えてきた
しかし今は、自然科学の進歩で
もう答えがわかっている
私たちは星のかけらから誕生した生物の一種で
死んだらまた星のかけらに戻るだけ
つまり死んだら物質に戻り土に還る
そこに感傷の入り込む余地は全くない
地球上の生命の歴史は約40億年あり
その悠久の長い歴史のなかで
私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスが
生まれたのがわずか20万年ほど前であって
あと10億年で地球上の生命の歴史が終わる
こともわかっている
太陽が膨張して地球上の水が失われる
フランスの社会人類学者
クロード・レヴィ=ストロースが
人間なくして地球は始まり
人間なくして地球は終わると
述べた通りである
人間の本質は脳にあって
魂の存在はない
もちろん宗教を信じるかどうかは各人の自由
なので、輪廻転生で死後は何かに
生まれ変わると考えてもいいし
最後の審判まで眠りにつくと
考えるのも自由だが
自然科学では人間は星のかけらからきて
星のかけらに戻ると説明している
20世紀になり哲学が流行らなくなったのは
自然科学が進み過ぎたからだろう
20世紀になって絵画が流行らなくなったのが
写真が急速に発達したからなのと同じように
と、著者は言う
著者は出口さんであるが
この著者の入り口の部分を
抜粋させていただいた(笑)
自然科学を崇拝し
人生の半ばで宗教(カソリック)を捨てた
もんちっちには、輪廻転生はない
イエスキリストも宇宙から来た人の子孫
でしかない(笑)
生きてきた、生きている「人」の教えは
生きていくうえで多いに参考になる
斎藤一人さんや小林正観さん
ちょっと違うが
美輪明宏や江原さんなど
自分の苦しみの中から出てきた言葉は
心に沁みてくる
また自分の先を生きている人生の「先輩」
の言葉も、ありがたく心に響いて来る
何が心の指標であってもいいわけだ
もちろん宗教であっても
スピリチュアルなものであっても
もんんちっちは
孤独を楽しんでいる
周りの空気で
暑くもなり寒くもなりながら
これまでの人生になかった時間を
「ありがたく」過ごしている
強くなれるのは
失うものが何もないから
どなたかのブログで
目からウロコが落ちた
お金を必死に貯めよう増やそうとする人も、
金がすべてじゃないと言う人も
どちらも「お金に縛られている」からだと
お金は自分が使えるだけあれば
それでいい
ある程度
したいことができて
たまに贅沢ができて
要するに本が読めて
近場でも旅ができて
わずかな人と交流できれば
それで十分ではないのだろうか
命の次に大事なものはと聞かれ
お金、と答える人がほとんどだろう
お金があれば生きてはいけるが
パラダイムシフトが起これば
お金がただの紙屑になることさえある
もし2025年に株価が暴落すれば
貧しきものも金持ちも
価値観は一変する
※パラダイムシフトを思い出させて
くれたのは、aiuさん
”それまで当たり前だと考えられていた
ものの見方や考え方、価値観が劇的に変化
することを表した言葉
もともとは、アメリカの科学者・哲学者の
トーマス・クーンが著書『科学革命の構造』
(1962年)で提示した考え方”
2025年
2012年が人類最後の日と言われた
ノストラダムスの予言のように
何も起こらないといいが
この年には気象現象においても
きな臭い?情報が多い
戦争も流動的に持続している
経済の行方は依然不透明
お金、確かに大事
しかし他にも価値を見出せないのは
あまりにも心が淋しい
若者と年寄りが断絶し分断される
なんとももったいない世の中だろうか
知恵を出し合って共存すれば
世の中はきっとよくなるだろうに
※この考えに気づかせてくれたのは
usagiさん
ブログには、衣食住に彩を添えて
生活に潤いを与えてくれるものが多い
発信している人の心の中には
様々な思いがある
世間で言えば十人十色
社会で言えば千差万別
笑ってるその心の裏側には
きっとたくさんの悲しみや苦しみがある
顔も知らないこのネット社会で
積み重ねていく不思議な縁(えにし)
今日もこんな取り留めもないことを綴って
一日が過ぎていく
これも自分が生きている証拠
そして支えられて
自分は生きている
懐かしい
ラジオで聞いていた
言葉の通じない国へいつの日か
飛行機に乗って
旅立つことを夢見ていた
遠い遠い、あの日
心穏やかでいると
優しい気持ちになれる♡