次女脳死判定免れて3か月


※この記事は約10年前のものです
 家族と友人らに、私の終活後に
 読んでもらうために残しました
 以前、ブログにも載せていましたが
 とても重い気持ちになってしまうので
 いったん下書きに保存しました
 先日の夫に関する記事も
 家族の暗黒史のような気がして
 いったんは撤回しましたが
 やはり私の生きざまの事実として
 記録に残したく、再掲しました
 お目汚しですが、どうぞお許し
 いただけますと幸いです
 スルーしていただけると 幸いです
 どうかお許しください
 


2013年07月21日



私事をネットに書き綴ることを
疑問に感じながらも
誰かとバーチャルにつながっていたいという
自分のわがままがありました
自分が考えていることが正しいのか 
そうでないのかの指標がほしかった
家族や会社の仲間や
不思議と親友にさえ相談できずにいました


自分のプライバシーを公開することに
当初は大きな抵抗がありました
自分が責任を取れる範囲のことであると
割り切りました
どうしようもないバカな私がしてきた失敗を
素直に吐露したかった
誰かが読んでくれて、共感してくれたり
反感を持ったり
それでいいと
もんちっちは考えました


娘が自殺を図ったことを書きました
一時は脳死状態に限りなく近く 
半分、死の宣告をされたこと
しかし奇跡的に一命を取り留め
現在は高次脳機能障害ではありますが
全介助で食事もできるようになりました
医師も奇跡というほど
娘は元気にしています


手足はあまり動きませんが
車いすで座っていることが
できるようになりました
記憶は波があって
正常なときもあれば 
現実と想像の世界が交錯しているような
ときもあります


私のことを「ママ」」と呼んでくれます
娘は生まれ変わったのだと
私は思うようにしています


たくさんの方々に見守っていいただきました
そしてたくさんの励ましの
言葉をいただきました


あの日から4か月経って 
もんちっちは 
元気を取り戻すことができました
そのことに心から感謝しています
本当にありがとうございました


これから本当の意味での
苦しみや悲しみがやってくるのだと思います
娘がこれからも生きていけるように 
できる限りの道しるべを
残してあげようと思います
これからもどうか見守ってください




娘のリハビリ20131130-2 療養型病院にて



2013年03月26日



今朝、娘が首を吊りました
救えなかったことに責任を感じています
今は 生死のはざまにいます


これが運命なのでしょうね
ヤドカリみたいな彼女の人生 嫁ぎ先は
やっと見つけた安住の地だったはずなのに


ここ数日、泣きじゃくって来る電話の先では
ポツリポツリと「自分が間違っていた」と
言っていたことに
大人になったんだなって思っていたけど
そうじゃなくて、あのとき
だんだん神様に近づいていこうとしていたのだと
今になって思うのです


明日訪ねるつもりで休みを取ってあったのです
産後ウツだったかもしれません
三日間、何も食べられずにいる娘に
朝起きていきなり
「別れてくれ」の印籠を渡す人間は
どんなものでしょう


娘も悪いところはたくさんあったと思います
でもここまで追い詰めるだけ
悪いことだったのでしょうか


奇跡的に命は取り留めました
しかし重い障害が残ることは確かです


人の命を、人の一生を
一体誰に摘み取る権利があるのでしょうか


一番苦しいときにそばにいて 
子育てしてくれるのが夫ではないですか?
彼のためにと一緒に頑張ってきた娘が哀れです
それでも、そんなでも
娘は彼のことが好きだったんですね


そして朝かかってきた電話
いつものように泣きじゃくって
「しっかりしなさい」って
言ってしまった私の言葉が
きっと最後だったんだと思います
「すぐ行くからねと」
なぜ言ってあげなかったのか
今は後悔で一杯です


私の命と引き換えに
娘の命を救ってください


娘がもしこの世を去っていくのであれば
私がこの世で生きている意味がない


生きてくれるのか
それとも、去っていくのか
どんな姿になっても
私は今度こそ
あなたのそばにいるからね


娘からの最後のメールでした
「ごめんなさい  ありがとう」



※死んじゃいたいって思ってる人がいたら 
 どうか思いとどまってください
 あなたは必ず誰かから愛されているし 
 あなた一人の命ではないのだから
 そして周りの人がどれだけ悲しむかを
 知ってほしい
 そうせ死ぬなら生きてください
 生きていればこそ
 きっといつか晴れの日が来るから



2013年03月28日



放蕩娘の次女が
明日、脳死の判定を受けます


何度も名前を呼びました
ここにあるはずのない彼女のの魂が
いたような気がしたのです


次女は変わり果てた自分の姿を
私にゆだねることは
したくなかったのかもしれません


立派に生きなくったってよかったんだよ
捨てられたら
また次の人見つければよかったんだよ


マタニティーブルーに気付いてあげられなくて
私は何のために医学を学んできたのか
結局あなたを救えなかった


あなたが残した愛娘
どうなっていくのかな
引き取ってあげたいけど
そんな余裕はないし


ホントはあなたをそばに置いて
もっと説教したかったんだよ
逃げても逃げても追っかけて行って
家に連れ戻して
また家出しても
連れ戻して
その繰り返しだったね


今度は絶対ほっとかないから


私、厳しすぎたよね
でもあなたのためだって信じてた


さんざん苦労して 15の時から家出して
やっとつかんだ幸せだったのにね


あなた泣きながらくれた電話の中で
こんなこと言ってた
「うん、わかった 
だって親の背中見てきたから」
どういう意味だったのかな
その言葉が忘れられない


子どもと関わる時間もなく働いてきた私を
恨んでいたのかな


保育園にあなたを預けるとき
いつも火がつくように泣いていた
後ろ髪をひかれる思いで
仕事しながら学校に通った


子ども、ほしかったんだよね
その子を父親のない子にしたくなかったのかな


どうして逝ってしまったの
残された人、みんな悲しすぎる


さんざん振り回されてきたみんなも
泣いてるよ
聞こえるかい?


あなたはもう痛みの苦しみもない世界にいる
それだけが私の救い


私と愛娘を残して先に逝ってしまったことは
ずっと恨むからね


でも何十年か経って私が天国に行ったときは
「遅かったじゃん!」って言ってよね


寂しいよ
もう会えないんだね


もっと一緒にいたかったなあ
ちょっと時間かかるけど
いずれ私も行くから


今度は私が赤ちゃんで
あなたがお母さんかもしれない


私の命と交換したかったけど
神様が許してくれなかった


生まれてきて
こんな悲しいことはなかった


こんなにつらいことが世の中にあったのを
初めて知った


離婚した時も
おじいちゃんが死んだときも
こんなに悲しくなかった


あなたは教えてくれたんだ
この世の中でいちばん悲しいことを


命を懸けてまで訴えたかったことは
なんだったのかな?
これから先、私が天国に行くまでの課題かな?


明日あなたの心が離れてしまった
あなたの体に会いにいきます
あなたの元気な心臓を 
誰かにあげてしまってもいいかな?


あなたの心臓で誰かが命を救われるなら
それもいいことかもしれない


最後にあなたを、昔みたいにだっこしたいな
もっともっと抱っこしてあげたかった


あなたに冷たくしたのは
あなたを愛していたから
あなたに強くなって欲しかったから
でもそんなことする必要なかったよね


生きてさえいてくれれば
それでよかったんだよ


辛いよ 
私もあなたのそばに行きたい
でもそうしたら
誰かにもっと悲しみを与えることになる


ママにはすべきことがあるんだよね
あなたをしっかりと見送ってあげること


天国に行ったら
今度こそ楽しく幸せに暮らそうね
ほんとうにほんとうに
ゴメンね 



2013年03月30日



娘はかろうじて人工呼吸器で生きています
脳波の検査は延期になったそうです
遠からず脳死の可能性が高く
意識は戻りません


あの日孫が泣き叫んだことで
たまたま家にいた義父に発見され
救急搬送と同時に心肺蘇生されましたが
6分以上は経過していたとのことでした
しかし奇跡的に一命を取り留めました


人間は脳が死んでしまえば死亡だと思うのです
脳死と判定されれば 
あとは自然に任せてあげたいと思うのです


呼吸器がいすれ取り外され、
娘の抜け殻も灰になるのだと思います


今、娘が生きているのは
残された家族への彼女の思いやりではないかと
私は思っています


あまりに唐突の別れではなく
心の準備をする時間をくれたのだと思うのです
それが数日、あるいは数週間なのかは
わかりません


娘が生きたいだけ生きて
そして伝説になっていくのだと思います


娘はバカな母親のせいで
大変な苦労をして生きてきました


小さい子やお年寄りや
弱い人立場の人間には非常に優しい子でした
人の痛みのわかる子でした


私のわがままで母子家庭で貧しく育ちました
でも兄弟姉妹で助け合って生きてきました


今は娘のことだけのことを考えていたいと思います


本当は誰をも恨んではいません
恨むべきは自分自身であるからです


娘はしたたかに
強く生きていけると思っていました


今回、産後のマタニティブルーを我が子に観て
その恐ろしさを知りました
心というものは本当に壊れやすく
そして繊細なものであることを


たくさんの励ましや
たくさんのお悔やみをいただきました


ほんとうにありがとうございます
そして心から感謝いたします
       
         心こめて、もんちっち



2013年04月05日



息子がぽつりとつぶやいた
「もう2週間近くになるね」


次女の意識は戻らない


人はこのようなときに
きっと神に祈るのだろう


わずかに差し込んだ日差しの中で
私は身の程知らずの幸せを
望んでいるのだろうか


神よ
本当にあなたがいるのならば
どうか私の娘を
私の愛する娘を
私から引き裂かないでください


祈ります


どうかわが子に奇跡を



2013年04月06日



4日間、面会に行けませんでした
今日はどうだったんだろうと思う日々


今夜は息子と面会に行きました
渋滞で片道2時間半の道のり
会うまでは病院への足取りが重かったのです


病室に入ると
娘が目を開けていました


「昨日から、誰か来ると目を開けて
反応しているようなんです」と看護師


娘は私と息子の顔を見て
微笑んだのです


1時間以上、話しかけたり
手足をさすっていました


娘の友達の話をすると
笑い顔も見えました


記憶は保たれていましたが
手足は動きません


医師の話では
これ以上の回復は厳しいかもとのこと


それでも 家族のこと
忘れずにいてくれました


手足は時間をかけてゆっくり治せばいい
脳の機能が思っていたよりも残っていて
今はそれだけで
最高の贈り物であると思っています


きっとこの愚かな母のために
娘を残してくれたのだと思います


そして皆さんが心配してくださって
その思いが
娘をこの世に
踏みとどまらせてくれたのだと思っています


この奇跡に
心から感謝したいと思います


これから先待っているのは
あらゆる意味で厳しい人生だと思います


しかし私の生きている限りは
最愛の娘として
再び私の胸の中で
抱き続けていたいと思います


本当にありがとう



2013年04月08日



今回の娘の騒動で
たくさんのみなさんから
さまざまな励ましをいただきました


人生の秋の中盤を迎え
大きな事故に遭遇しました


受け入れがたく、信じがたく
ただおろおろするばかりです


色々なことを考えました


この世の中で何が大切なのか
自分の過去や現在や将来のこと
これまで出会ってきた人たちの言霊


まだ、何を見ても涙が出ますが
この涙は
一生枯れることがないことも知りました


私のような者を友だちと呼んでくださり
声をかけてくれたり、沈黙の時間をくれたり


人は一人では生きていけないんだって
そんな当たり前のことを
今更のように感じています


ひとことが、どれだけ嬉しかったことか
そしてありがたく
心の芯までしみこんでいきました


言葉では言い尽くせない感謝をこめて


          もんんちっち




2013年04月09日



ヘッドホンでユーミンを聴かせてあげました


娘の目からひとすじの涙が
そのあと幾筋もの涙が流れました
娘の脳の機能は守られていました


自分の気持ちを伝えることはできないけれど
彼女は微笑むことと泣くことで
自分の気持ちを伝えようとしているのです


医師からは
これ以上の回復はないだろうと言われても
私は信じない


いくつもの奇跡が起こり
最も大切な機能を残してくれました


今日はもう帰るよというと
泣かれてしまいました


むかし保育園に預けて
学校と仕事へ出かけるときに
後ろ髪を引かれたときの記憶が蘇りました
未だに
いてほしいときにいてあげられない
情けない母親


ゴメンねって言いながら
涙が止まりませんでした


これからまたやり直そうね
保育園の時に戻って
してあげられなかったことを
一生かかかってしてあげるからね



2013年04月16日



娘は奇跡的に一命を取り留めました


そして今、目を開け 
少しですが手足が動くようになりました


時々意識が遠のき、時々覚醒し
起きているときは
話しかけると笑います


リハビリができる病院へ
今週中には転院する予定です



2013年05月01日



昨夜、面会に行ってきました


洗濯ものがたまり
おむつの買い置きもなく
再度買いたしてきました


片道1時間半の道のり
現状、仕事を終えてから
週に3回行くのがやっとです
気合が足りないのかなあなんて思いながら


家族が疎遠になっている環境で
娘は毎日ベッドの上で
何を考えているのでしょうか


わかっていたことだけど
覚悟をしていたことだけど
それでも現実を見ると
やっぱり悲しさがぬぐえない


転院先の医師から胃瘻を薦められたとのこと
娘は食べることさえできなくなったのですね
今も手足は思うように動かない
顔がかゆくても手が動かない
涙が出てもぬぐうことさえできないのです
痛いともかゆいとも言えない


言葉を失ってしまいました


我が子を抱くことさえできなくなりました


あの日
首を吊り
ドタバタと苦しみもがいている物音に
日常のことだからと無視していた同居の義父
同居のニートの義弟が 
日ごろからドアをけったりたたいたりして
大声を上げている家では
大きな音がしたって
いつものことだったのでしょうか


もう一人の同居のニートの義妹も
家事一切を娘にに任せていたのだから
なぜこんな環境に娘を置いてしまったのか
自分が情けなくなってきます


産後のウツに気付かなかった
自分を含めた周りも
娘を追い込んだ責任があると思います


肝心のバカな亭主は出張先で彼女を作り
戻って早々に
「好きな人ができたから別れてくれ」と言い
もう何が何だか訳が分かりません


ひとりですべてを抱えこんでいたことを
後で聞きました
そんな娘を不憫に思います
娘は姉には伝えていたらしく 
これらのことは
長女から後で聞いた事実です


でもそんな家族でも 
娘にとっては
安住の住処だったのです


嫁ぎ先のお母さんに関しては 
気の毒な人で
ひとりで一家の大黒柱になり 
夫と子供4人を
精一杯支えてきたのに
長男のこの失態


彼女は 
今後も家族の不祥事をすべて一人で
背負っていくつもりでしょう


娘の今回の入院中も面会は次第に減り
夫は一度も来ていないとのことでした


娘が嫁ぎ先に戻ることは不可能でしょう
感情からだけものをいえば
未だに恨みだけが残っています


正義感だけで結婚したとか
そんな馬鹿なことを言いう
人間はいないでしょう?


娘のことが負担になり
だんだん遠のいているように思います
罪だとか責任だとか口では言ってるけど
その気持ちが
私にはまったく伝わってこないのです


自分の大切な子どもを
こんな状態にされて
怒らない親がいるでしょうか
たとえ娘がどんなおバカであってもです


面会に行くたびに
辛さが重くなっていきます


時機を見て私の家に近い病院を探して
連れてこようと考えています


娘は話すこともできない 
ご飯も食べることができない
おむつをした赤ちゃんになって
私のところに帰ってきます
帰ってきたら、おかえりなさいって
抱きしめてあげようと思います



2013年05月06日



汗臭くなっても着替えもできていないので
お風呂に入れたり着替えをさせてあげたい


何か伝えたいことがあったら
少しでも理解できる方法を知りたい


そばにいれば毎日のように行ってあげられる
それができないことが辛いのです


夫婦を引き裂くようで辛いけど
今は元気になることが先決


あとで知ったことだけど
娘は夫とは同じ屋根の下にいて
顔を合わせることもかなかったらしい


あちらのお母さんも
仕事を抱えて
孫の面倒を看ながらでは
世話などできっこない
いくら社会資源を使っても限度がある


そのことを
あちらのお母さんに伝えたかったのに
返ってきたメールは
「考えさせてくださいね。
 キイバーソンである息子の
 覚悟と態度が定まっておらず
 歯がゆい思いでおります。
 心から申し訳なく言葉が見つかりません
 これからのこと
 今すこし考えさせていただけますか
 私の中では親子の身近な関係を
 継続できることのみ求めてきました
 息子次第で私どもの覚悟は決まるのです
 私どもは娘さんに
 もっと尽くさねばならないのです
 家族のみんながそう思っています
 今少し考えさせてください」


 私が怒りを感じるのは
 「息子しだい」という言葉
 息子次第ですべてが決まるのですか?
 娘は?娘の家族の思いは??


 この家族は分裂していて
 みんな自分のことしか
 考えられないことを知りました


 彼がしたことで人の一生を台無しにしたのに
 そんな人がキーパースンで
 しかもその人が決めたことで
 娘の将来が決まるのですか????
 相談もなしに


 今まで、私より年長であり
 尊敬さえしてきた娘の義母に
 人間としての感覚のズレを感じ
 理解しがたい存在になりつつあります


「娘の名誉のため」?と
 携帯を返さなかったことも我慢した
 息子の名誉のためでしょ?
 娘が放置に近い状態になっていても我慢した
 同じ屋根の下
 息子は娘の顔さえ見に来ないのだから
 
 でももう我慢の限界です
 今、娘に関わってあげなければ
 私は一生後悔するように思います


 私の感覚、おかしいでしょうか?



2013年05月16日



仕事で、ここのところ面会に行けずにいます


あちらのお母さんからメールが来ました
「・・・言語訓練でアイスクリーム
 オレンジジュースを飲んだとのこと
 日によって状況が違いますが
 最近は、リハビリの先生の指示を
 理解して従う様子があり
 回復が見られるとのことです。・・・」


 娘はちゃんと理解しているのです
 それは意識が戻ったころから
 私にはわかっていました


「もう、死にたいなんて考えちゃだめだよ
 ママをひとりにしないでネ」って言ったとき 
 彼女は真顔になって
 こらえていた涙を一気に流したのです
 だから私にはわかっていたのです


 周りの医師や看護師が考えている以上に
 彼女の脳は、ダメージを免れていたのです


 少しずつ、ほんの一歩から
 何年かっかってもいいから
 元気になってほしい


 もいちど親子をやり直すことを決めたから
 だから頑張るね


 そして今日
 私一人ではないって自覚できたから
 ゆっくり頑張っていけそうな気がする
 陰でそっと見守ってくれている
 大切なお友達に、感謝



2013年05月19日



久々に面会に行きました
思ったよりいい病院かもしれません
リハビリも本格的な雰囲気があります
何よりも娘の顔つきが変わってきたのです
目もうつろさがなくなりました
冗談を言うと、笑顔が返ってきます


友人や知人の皆さんの面会が
娘の心を開いたのかもしれません


少しずつ元気になり始めています
車いすにもっと簡単に乗れるようになったら
伊豆や富士山や沖縄や北海道や
娘が行ったことのない世界を
見せてあげたいと思います


だから 
もんちっちも元気でいなければいけないと
今日は娘から元気をもらいました


一緒に車でドライブしたはなちゃん
(フレンチブルドッグ)も
一時は車いすを作らなければと思うほど
まったく歩けなかったのに(椎間板ヘルニア)
今ではドライブしたり散歩できるようになりました


はなちゃんが歩けるようになったと
獣医さんに報告すると
奇跡的ですね、と言われました


本当に奇跡は起こるのですね


信じて祈ること
そして希望を失わないこと
もんちっちがいただいた
大切で、そして何よりもうれしい
ふたつの奇跡でした



2013年05月27日



土曜日に、新しい主治医の話を聞いてきました
あちらのお母さんも同席でした
娘の脳の機能は劇的に回復しています


私が帰るときも
土曜日は泣きませんでした


あちらのお母さんからメールがありました
「今日はビックニュースですよ
 気管切開カニューレを交換し
 話せるようになりました
 まだ聞き取りにくいのですが
 コミュニケーション成立
 思いがこもり泣きながら
 笑ったりと本当に嬉しいです
 ママにメッセージ・・・逢いたい
 でした
 取り急ぎお伝え致します」


 この病院は娘にとって 
 本当に天使だったのかもしれません
 脳外科の先生にお願いして
 あと数か月
 徹底的にリハビリを
 していただくことにしました


 脳の後頭葉に梗塞があり 
 そして海馬が委縮しているのがわかりました


 過去の記憶が欠損していくのか
 今のことを記憶できずにいるのか
 これからの学習能力がなくなるのか
 わかりません


 わかることは
 娘が今
 ここで生きているということです


 今度は、命の灯が尽きるその日まで
 しっかりと生きていってほしいと
 心から思います



2013年06月04日



娘のからだの機能は
徐々に回復に向かっています
ただ取り返せなかったのは、心
高次脳機能障害という過酷な宣告


でもどんな姿になっても
生きていてくれればいい
奇跡が起きて取り留めた命


生まれ変わった娘とこれから先
私の命が続く限り
ともに生きていこうと思います



2013年06月11日



日曜日の娘は
ずっと遠くを見ているようだった
笑顔もなく
私が誰なのかもわからないようだった


リハビリが始まって
あばれるようになったそうで
お薬でとがった感情を
セーブしているとのことだった


本当に娘は 
生まれ変わったのかもしれない


認知症ケアの専門でもある私が
初めて知った家族の気持ち
「あなた 誰?」 そう聞かれた家族は
どれほどいたたまれない気持ちだっただろう
「お母さんは生まれ変わって
 別人になったと思って
 接してみてくだい」などと助言してきた


そうすれば悲しみや苦しみが
やわらぐだろうと思っていた
でもたとえ自分のことを忘れてしまっても
自分の唯一のお母さんや
お父さんに変わりはないないんだよね
私にとって娘が娘であるように


人の痛みは 
同じ痛みを経験した人にしかわからない


一昨日テレビで
精神病を持つ(装った)青年が殺人を犯し
無罪になる映画をやっていた
健常と病気の境界線は
どのようにして引くのだろう


常識という言葉は好きではないが
常識とて多数決の原理にしか過ぎない
仕事柄観てきた精神のケースは
解決策がないことも多く
すさんだ状態のまま 
ただ見守るしかないことも多い


自殺のことも考えてみた
自殺を考える時点で
すでに精神が正常の範囲を逸脱している
どのような場合にも
それを感知したならば
力ずくでも病院に連れて行くしかない


人権だとかいろいろ言うけれど
本当に助けたいのならそれしかない


救えない命もありますと
いつも伝えてきた
でも本当に命を救いたいのなら
精神科の専門医の治療を受けさせること
それだけが唯一の救いの道


死んだらダメだとか説教しても
精神が異常な状態の人の心に
伝わるはずがない


娘も産後のウツで、自らの命を絶とうとした
周りにたくさんの医療人がいたのに
気づくことができなかった
わかっていたのなら
縄で縛ってでも病院へ連れて行った


後悔は無駄とわかっていても
同じ過ちは繰り返したくない
そして救える命があるのならば
周囲の人間が見守っていくしかないのだろう


かつて胃がんが完治したという二人に会った
冗談か嘘だろうと思っていた
しかし確かに胃がんは消えていた
この二人に共通していたのは
宗教を持ち信仰していたことと
生きていたいという強い意志を持っていたこと
科学では説明できないことが起こりうる事実


心=精神と体は表裏一体であり共同体でもある
病は気からと昔からよく聞く


いつからか世の中から試練の機会が激減した
運動会の競争もなくなり受験戦争もなくなった
モノがあふれ
欲しいものが簡単に手に入るようになった
思春期の初恋の思いを手紙にしたため
返事をオロオロしながら
待つこともなくなった
メールや電話で即刻返事が聞ける


物事を考える「時間」が短縮されるにつれ
人の心も短絡的になったような気がする


心の豊かさは
物事をよく考えることから始まる
人間が持つ妬みや嫉妬が
世の中の歯車を掛け違える


なにが大切なのか、なにが必要なのか
そのために自分は何をしたらいいのか
そんなことさえ成人になっても心に刻めず
自分だけのことを考えて
自分以外の人はどうでもよくなる


何十年たっても何百年たっても
子どもは子どもとして
その本質は変わることがないのに
そして子どもを育てる親の本質も
変わることがないはずなのに


強い心は優しさを産む
悲しみの数だけ優しくなれる
苦しんでいる人がいたら
どうか声をかけてあげてほしい


国内で一日に自殺する人の数は90人
多いと思うか、少ないと思うか
それは個々の判断でしかない



2013年06月16日



昨日、娘の面会に行ってきた
リハビリが進むにつれ
記憶が一層確かなものになってきたようだと
リハビリに同行してくれた
相談員からそんな話があった


部屋に行くと
「いっしょにいこう いっしょにいこう」
何度も何度も小さな声で言った
どこへ行きたいのか聞いてみたが
答えなかった


いつものように写真を撮ろうとすると
「とらないで」と小さな声で繰り返した
数時間たって私がウトウトしていると
「もう帰っていいよ」と何度も言った


「リハビリがんばったよ」
前回の面会で
リハビリ頑張るんだよと言った
私の言葉を覚えていたのか


食事はまずいと言って食べていない様子
味覚障害があるからなのだろう
経管栄養が再開した
今週胃瘻を作ることになった
娘の子どもに会ったのかと聞くと
「うん」と答えた
無言、そして無表情
お薬で少し感情が抑えられているのか


帰り際に娘が言った
「あしたもきて あしたもきて」
何度も何度も小さな声で


これまで私は娘と週末に
こんなに長い時間を
過ごすことがあっただろうか


娘はいつも自分の心の中に
すべての感情を蓄えてしまう子
そんないつもの娘に戻っていた


すべての記憶が
悲しみや、苦しみや、絶望の記憶が
娘の脳によみがえってきたのだろう
娘はどうしたいのだろう
できることはかなえてあげたいと思う


複雑な気持ちになり病室を後にした


思い出すのはいつも同じシーン
保育園に預けるとき
火がついたように泣き叫び
後を追ってきた娘の姿が重なって
母親失格の自分が悲しかった


挽回させてね


今まで
連れていってあげることができなかった
いろんなところへ
いつか必ず連れて行ってあげるからね




わが子へ♡

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